昔を思ふに、天帝釈、阿修羅王が戦に攻め負け給ひて、須弥山を指して逃げ上り給ふ。この山険しとは申せども、帝釈の眷属、恒沙の如く上らんとす。ここに、金翅鳥の卵多くして、この戦ひの為に、踏み殺されぬべし。然れば、我が命は奪はるるとも、如何でか殺生を犯さんとて、帝釈、須弥を出でて、鉄囲山と言ふ山にかかり給ふに、阿修羅王、返つて追ふぞと心得て、逃げにけり。その戦に負けにけり。これも、殺生禁じ給ふ徳に依りて、戦に勝ち給ひけるとかや。この君も、鹿の命を憐れみ、狩座を止め給ふ。如何でか、その徳なかるべきとぞ申しける。
昔を思えば、帝釈天が、阿修羅王との戦に攻め負けて、須弥山を指して逃げ上ることにしました。この山は険しい山でしたが、帝釈天の眷属([随順する諸尊])が、恒沙([恒河沙]=[恒河=ガンジス河。の砂の数])ほど上ろうとしました。ここには、金翅鳥([ガルダ]=[インド神話に登場する炎の様に光り輝き熱を発する神鳥])の卵が多くあって、この戦いで、踏み殺されてしまうところでした。そこで、我が命は奪われるとも、殺生するわけにはいかないと、帝釈天は、須弥山を出て、鉄囲山([仏教の世界説にある 鉄製の架空の山])と言う山に逃げました、阿修羅王は、攻めて来たと思い、逃げました。阿修羅王はその戦に負けました。これも、殺生を禁じた徳に依って、帝釈天が戦に勝ったということです。この君(源頼朝)も、鹿の命を憐れみ、狩座([狩り])を止めました。どうして、その徳がないことがあろうかと申しました。
(続く)