斯様の昔を案ずるに、悪し様にはあらじと思ひけれども、平家の侍に、山木の判官兼隆と言ふ者を同道して下しけり。道にて、何となき事のついでに、「御分を時政が聟に取らん」と言ひたりし言葉の違ひなば、「源氏の流人、聟に取りたり」と訴へられては、罪科逃れ難し、いかがせんと思ひければ、伊豆の国府に着き、かの目代兼隆に言ひ合はせ、知らず顔にて、娘取り返し、山木の判官に取らせけり。されども、佐殿に契りや深かりけん、一夜をも明かさで、その夜の内に、逃げ出でて、近く召し使ひける女房一人具して、深き叢を分け、足に任せて、足引きの山路を越え、夜もすがら、伊豆の御山に分け入り給ひぬ。契り朽ちずは、出雲路の神の誓ひは、妹背の仲は変はらじとこそ、守り給ふなれ。頼む恵みの朽ちせずは、末の世掛けて、諸共に住み果つべしと、祈り給ひけるとかや。
その昔を思えば、悪くはないように思えました、平家の侍に、山木判官兼隆(山木兼隆)と言う者を同道([同行])して下っていました。道中で、四方山話のついでに、「お主を時政(北条時政)の婿にしよう」と申した言葉に違ったので、「源氏の流人(源頼朝)を、婿にした」と訴えられては、罪科を逃れ難し、どうすべきと思い、伊豆国府(現静岡県三島市にあったという)に着くと、かの目代兼隆と申し合わせた通り、知らぬ顔で、娘を取り返し、山木判官に取らせました。けれども、佐殿(源頼朝)に契りが深かったのか、一夜も明かず、その夜の内に、逃げ出て、近く召し使っていた女房を一人連れて、深い草むらを分け、足に任せて、足引きの([山に掛かる枕詞])山路を越え、夜通しかけて、伊豆山に分け入りました。契りが朽ちなければ、出雲路の神の誓いは、妹背([夫婦])の仲は変わることがないと、守られる神でした。頼む恵みが朽ちなければ、末世までも、共に住み果てるべしと、祈られたとか。
(続く)