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「曽我物語」兼隆聟に取る事(その1)

斯様かやうの昔を案ずるに、し様にはあらじと思ひけれども、平家のさぶらひに、山木の判官はんぐわん兼隆かねたかと言ふ者を同道どうだうして下しけり。道にて、何となき事のついでに、「御分を時政がむこに取らん」と言ひたりし言葉の違ひなば、「源氏げんぢ流人るにん、聟に取りたり」と訴へられては、罪科ざいくわ逃れ難し、いかがせんと思ひければ、伊豆いづ国府こうに着き、かの目代兼隆に言ひ合はせ、知らずがほにて、娘取りかへし、山木の判官はんぐわんに取らせけり。されども、すけ殿に契りや深かりけん、一夜をも明かさで、その夜の内に、逃げ出でて、近く召し使ひける女房にようばう一人具して、深きくさむらを分け、足に任せて、足引あしびきの山路やまぢを越え、夜もすがら、伊豆いづの御山に分け入り給ひぬ。契り朽ちずは、出雲路いづもぢの神の誓ひは、妹背いもせの仲は変はらじとこそ、まぼり給ふなれ。頼む恵みの朽ちせずは、すゑの世掛けて、諸共に住み果つべしと、祈り給ひけるとかや。




その昔を思えば、悪くはないように思えました、平家の侍に、山木判官兼隆(山木兼隆)と言う者を同道([同行])して下っていました。道中で、四方山話のついでに、「お主を時政(北条時政)の婿にしよう」と申した言葉に違ったので、「源氏の流人(源頼朝)を、婿にした」と訴えられては、罪科を逃れ難し、どうすべきと思い、伊豆国府(現静岡県三島市にあったという)に着くと、かの目代兼隆と申し合わせた通り、知らぬ顔で、娘を取り返し、山木判官に取らせました。けれども、佐殿(源頼朝)に契りが深かったのか、一夜も明かず、その夜の内に、逃げ出て、近く召し使っていた女房を一人連れて、深い草むらを分け、足に任せて、足引きの([山に掛かる枕詞])山路を越え、夜通しかけて、伊豆山に分け入りました。契りが朽ちなければ、出雲路の神の誓いは、妹背([夫婦])の仲は変わることがないと、守られる神でした。頼む恵みが朽ちなければ、末世までも、共に住み果てるべしと、祈られたとか。


続く


by santalab | 2015-06-05 09:08 | 曽我物語

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