「さて、五朗丸には、如何にして抱かれけるぞ」。「それは、かの童を女と見成し、何事候はんと存じて、不慮に取られて候ふ。斯様なるべしと存ずるものならば、ただ一太刀の勝負にて候はんずるものをと、後悔益なし。これ、偏へに宿運の尽きぬる故なり。実にや、『羅網の鳥は、高く飛ばざるを恨み、呑鉤の魚は、海を忍ばざるを歎く』とは、要覧の言葉なるをや、今こそ思ひ知られたる。君の御佩刀の鉄のほどをも見奉り、時致がくたり太刀の刃のほどをも試し候はんずるものを」と、言葉を放ちてぞ申しける。
「さて、五郎丸に、どうして捕らえられたのだ」。「それは、かの童(五郎丸)を女と見て、何事かあるものかと思い、思いかけず捕まったのでございます。もし男と知っていたならば、ただ一太刀勝負するべきと、後悔したところでどうしようもないこと。これ、詰まるところ宿運が尽きたということです。『羅網([鳥を捕らえる網])に捕らえられた鳥は、高く飛ばなかったことを後悔し、釣り針にかかった魚は、海(飢え)を我慢しなかったことを嘆く」とは、要覧(?)の言葉でしたか、今こそ思い知られました。君(源頼朝)の佩刀([帯刀])の鉄のほども見て、この時致のくたり太刀(腐り太刀)の刃のほどを試してみたかったものを」と、言葉を放ちました。
(続く)