一人の子は、父死して後、生まれしかば、捨てんとせしを、叔父伊東の九郎が養育せしが、それも平家へ参り給ひて後は思ひ掛けざる武蔵の守義信、取りて養育して、今は、越後の国の国上と言ふ山寺にありと聞けども、父をも見ず、母にも親しまねば、思ひ出だして、一返の念仏を申す事もあらじ。それはただ他人の如し。かの子をこそ法師になして、父の孝養をもさせんと思ひしに、斯様に成り行く事の悲しさよ。しかも、忘るる事はなけれども、心ならずに、忍びてこそ過ごせ、今は、誰にか、後の世をも問はるべき。哀れ、斯かる憂き身の生を変ゆるならば、昔よりなどやなかるらん。それ、『良薬は口に苦くして、しかも病ひに利あり。忠言は耳に逆ひて、しかも行を利せり』と申す言葉のあるなるぞ。よくよく案じても見給へ」と、泣く泣くくどきければ、
一人の子は、父(河津祐泰)が亡くなった後に、生まれました、捨てようとしましたが、叔父の伊東九郎(伊東九郎祐清)が養育して、伊東九郎が平家に参った後は思いもかけず武蔵守義信(平賀義信=源義信 )が、子にして養育して、今は、越後国の国上と言う山寺(現新潟県燕市にある寺)にいると聞いていますが、父も見ず、母にも親しんでおりません、思い出して、一返の念仏を唱えることもないでしょう。ただ他人のようなものです。この子をこそ法師になして、父の孝養をさせようと思っていましたのに、男になるとは悲しくて仕方ありません。しかも、(祐泰を)忘れることはないものの、心ならずも、世に忍んで過ごして来たのです、今となっては、誰が、後世を託せばよいものか。ああ、この憂き身の生を変えることができたなら、昔に戻りたいものです。それ、『良薬は口に苦いものですが、しかし病いに効く。忠言は耳がいたいものですが、しかし行いを正す』と申す言葉があります。よくよく考えなさい」と、泣く泣く申しました、
(続く)