五朗物ごしに聞きて、泣き居たりけるが、兄の方に帰りて、申しけるは、「ただ今の母の仰せられし事ども、一々そのいはれありて思え候ふ。死し給へる父を悲しみて、孝養を致さんとすれば、生きてまします母の不孝を蒙る事、これまことにひたうの故なり。身の罪のほどこそ、知られて候へ。あまねく人の知らざる先に、髪切り候はん」と申しければ、十郎言ひけるは、「母の御勘当は、予ねてより思ひ設けし事なり。さればとて、昨日男に成りて、今日また入道するに及ばず。人こそ数多知らずとも、先づ北条殿の思はれん事も、軽々しし。かつうは、物苦はしきにも似たり。ししやうの事にてはあらじ。いざや、いづ方へも行きて、慰み候はん」とて、打ち連れてぞ、出でにける。
五朗(曽我時致)は物ごしに聞いて、泣いていましたが、兄(曽我祐成)の方に帰って、申すには、「ただ今の母の申されたこと、一々その通りと思えるのです。亡くなった父(河津祐泰)を悲しんで、孝養を致そうとすれば、生きておられる母の不孝を被ること、これまことにひたう(貧道=仏道修行の未熟な境涯)のためです。身の罪のほどが、知らされる思いです。すべての人に知られぬ前に、髪を剃りましょう」と申せば、十郎が申すには、「母の勘当は、かねてより分かっていたことではないか。ならばと、昨日男になって、今日また入道することはない。人は多く知らずとも、北条殿(北条時政)が悲しむことであろう、軽々しく決めることではない。また、今さらに出家するのは心苦しかろう。勘当はししやう(始終=一生)のことではあるまい。さあ、どこへも行き、心を慰めてはどうだ」と申して、打ち連れて、出て行きました。
(続く)