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その後、いよいよこの事のみ心に懸かりて、一字も忘れじと思ふ経文きやうもんをも打ち捨てて、昼夜ちうや権現に参まゐり、「今度こそ、空しく候さうらふとも、遂つひには、我が手に掛け給へ」と、祈り申まうすぞ、哀あはれなる。
その後、筥王はますます祐経すけつね(工藤祐経)のことばかり気にかけて、一字も忘れまいと思っていた経文も打ち捨てて、昼夜箱根権現に参り、「この度は、空しくとも、遂には、我が手に掛け給え」と、祈り申すその姿は、哀れでした。
(続く)
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