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「曽我物語」頼朝謀反の事(その1)

さるほどに、まことに謀反の事あり。例へば、去んぬる平治へいぢ元年ぐわんねん右衛門督うゑもんのかみ藤原ふぢはら信頼卿のぶよりのきやう左馬頭さまのかみ源の義朝よしともを語らひて、梟悪けうあくくはたつ。しかれば、清盛、これを追罰し、くだんやから配流はいるせしよりこの方、源氏退散して、平家繁昌はんじやうす。されば、朝恩てうおんに誇りて、叡慮を悩まし奉る事、古今にたぐひなし。あまつさへ、その身、一人師範にあらずして、かたじけなくも、太政だいじやう大臣のくらゐを汚す。かくの如く、近衛こんゑ大将たいしやう左右さう兄弟きやうだいあひ並ぶ事、凡人において、先例になしといへども、始めてこの義を破る。




そうこうするうちに、謀反は現実のものとなりました。思い起こせば、去る平治元年(1159)に、右衛門督藤原信頼卿が、左馬頭源義朝を味方に付けて、梟悪([人の道に背くこと])を企てました。この時、清盛(平清盛)は、これを追罰し、謀反の者どもを配流して以降、源氏は退散して、平家は栄えました。そして、平家は朝恩に誇り、叡慮を悩ますこと、古今に例のないほどでした。その上に、清盛自身は、人の師範([人の手本になる人])でもあらずして、畏れ多くも、太政大臣の位を汚しました。同じく、近衛大将の、左右に兄弟が並ぶことは、凡人においては、先例のないことでしたが、はじめてこれを破りました(清盛の嫡子重盛しげもりが左大将、次男宗盛むねもりが右大将。藤原氏以外で兄弟が左右大将に就いたことはなかった)。


続く


by santalab | 2015-06-17 10:05 | 曽我物語

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