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「曽我物語」呉越の戦ひの事(その15)

太宰喜否たひさいひ、急ぎ大夫種たいふしゆに語る。おほきに喜びて、越王ゑつわうに告げければ、士卒色をなほし、「万事を出で、一生いつしやうに遭ふ事、偏へに大夫種が智謀によれり」とぞ喜びける。るほどに、つはものども、皆国にかへる。太子の王鼠石与せきよには、大夫種を付けて、本国へかへし、我は、素車に乗りて、ゑつの国の璽綬じじうを首に掛け、賎しくも呉王ごわうの下臣と称して、軍門に下り給ひにけり。浅ましかりし次第なり。れども、なほし呉王心許しやなかりけん。「君子、刑人けいじんに近付かず」とて、敢へて勾踐こうせんおもてまみえ給はず。剰へ、典獄てんごくくわんに下されて、きやうこうゑききうして、枯蘇城こそじやうへ入り給ふ。その姿見る人、袖を濡らさぬはなかりけり。




太宰喜否([太宰]=[古代中国の官名。百官の長])は、急ぎ大夫種に知らせました。大夫種はたいそうよろこんで、越王(勾踐こうせん)に知らせれば、士卒([兵士])は顔色を直し、「万事を逃れ、一生を得ること、ひとえに大夫種の智謀によるものぞ」とよろこびました。さるほどに、兵どもは、皆国に帰りました。太子の王鼠石与には、大夫種を付けて、本国へ返し、勾踐は、素車に乗って、越国の璽綬([天子の印])を首に掛け、賎しくも呉王(夫差ふさ)の下臣と称して、軍門に下りました。浅ましいことでした。けれども、なおも呉王は心を許しませんでした。「君子、刑人に近付かず」と、あえて勾踐と接見することはありませんでした。その上、典獄([監獄で、事務を扱う官吏])の官に下されて、きやうこうゑききう(行幸駅駈)して、枯蘇城(現江蘇省蘇州市姑蘇区)に入りました。その姿見る人、袖を濡らさぬ者はいませんでした。


続く


by santalab | 2015-06-21 17:14 | 曽我物語

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