ここに、呉王の臣下に、伍子胥と言ふ者あり、呉王の前にて申しけるは、「天の与へを取らざるは、かへつて、その咎を得ると見えたり。この時、越の国を取らずして、勾踐を返し給はん事、千里の野辺に、虎を放つが如し」と諌めける。呉王用ひずして、勾踐を本国に帰されけるぞ、運の極めと思えける。越王喜びて、車の轅を巡らし、急ぎ国にぞ帰りける。道の辺に、蛙多く集まりて、路頭を塞ぐ。勾踐、これを見て、「勇士を得て、素懐を達すべき瑞相、めでたし」とて、車より下りて、これを拝みて通られけるが、果たして言ふ如く、本意を遂げ給ひにけり。不思議なる奇瑞なり。
ここに、呉王(夫差)の臣下に、伍子胥と言う者がいました、呉王の御前で申すには、「天の与えを取らざるは、かえって、その咎を受けるとあります。今、越国を取らずに、勾踐を国に帰すことは、千里の野辺に、虎を放つようなものです」と諌めました。呉王(夫差)はこれを聞かずして、勾踐を本国に帰しました、運の極めと思われました。越王(勾踐)はよろこんで、車の轅([馬車・牛車などの前方に長く突き出ている二本の棒])を引かせて、急ぎ国に帰りました。道の辺に、蛙が多く集まり、路頭を塞いでいました。勾踐は、これを見て、「勇士を得て、素懐を遂げる瑞相である、めでたいことよ」と申して、車より下りて、蛙を拝んで通りました、果たして申した通り、本意を遂げました。不思議な奇瑞([めでたいことの前兆として起こる不思議な現象])でした。
(続く)