伊東の入道は、最期の時にも、後生菩提を願はぬぞ、愚かなる。これを以つて、過ぎにし事を案ずるに、親の譲りを背くのみならず、現在の兄を調伏し、持つまじき所領を横領せし故、天これを戒めけるとぞ思えたり。しかれば、悪は一旦の事なり、小利ありと雖も、終には正に帰して、道理道を行くとかや。総じて、頼朝に敵したる者こそ多き中に、まのあたりに誅せられける、因果逃れざる理を思へば、昔、天竺に大王あり、尊き上人を帰依せんとて、国々を尋ねけるに、ある時、いみじき上人ありとて、迎ひを遣はし給ふに、この王、朝夕、碁を好み給ひて、人を集めて打ち給ふ。
伊東入道(伊東祐親)は、最期の時も、後生菩提([来世に極楽に生まれ変わること])を願わなかったのは、愚かなことでした。これをもって、過ぎた昔のことを思えば、親の遺言に背いたばかりでなく、兄(伊東祐継)を調伏し、持つはずもない所領を横領したために、天がこれを戒めたと思えました。なれば、悪は一旦の事、小利ありといえども、終には正(正義)に帰して、道理に従うと申すとか。詰まるところ、頼朝に敵する者こそ多くあった中に、まのあたりに誅せられける、因果を逃れることのなかった道理を思えば、昔、天竺に大王がいて、尊い上人に帰依しようと、国々を探していましたが、ある時、りっぱな上人がいると聞き、迎えを遣わしました、この王は、朝夕、碁を好んで、人を集めて碁を打っていました。
(続く)