ここに、呉王の臣下伍子胥、これを歎き、呉王を諌めていはく、「君見ずや、殷の紂王は、妲己に迷ひて、世を乱し、周の幽王は、褒姒を愛して、国を傾けられし事、遠きにあらず」と、度々諌めけれども、敢へて、これを聞かず。ある時、呉王、西施に宴せんとて、群臣を集め、枯蘇台にして、花に酔を勧めけるが、さしも玉を敷き、金を大うする瑶階を上るとて、裙を高く掲げて、深き水を渡る時の如くにせり。人これを怪しみ、その故を問へば、「この枯蘇台、今越王に滅ぼされ、草深く、露繁き地とならん事遠からず。我、もしそれまで命あらば、昔の跡見んに、袖より余る荊棘の露深かるべき行く末の秋、思へば、斯様にして渡らん」とぞ申しける。君王を始めて、聞く者、奇異の思ひをなせり。果たして思ひ合はせられけり。
ここに、呉王(夫差)の臣下伍子胥は、これを嘆き、呉王を諌めて申すには、「君は知っておられましょう、殷の紂王(殷朝第三十代にして最後の王)は、妲己に心迷い、世を乱し(『酒池肉林』の語源となった)、周の幽王(周朝の第十二代王) は、褒姒を愛して、国を傾けました、遠い昔のことではございません」と、度々諌めましたが、まったく、聞く耳を持ちませんでした。呉王が、西施のために宴を催して、群臣を集め、枯蘇台(枯蘇城。現江蘇省蘇州市姑蘇区)で、花見に酔いました、玉を敷き、黄金で飾った瑶階([玉の階段])を上る時、伍子胥は裙を高く持ち上げて、深き水を渡るようでした。人はこれを怪しみ、その訳を訊ねると、「この枯蘇台も、たちまち越王(勾踐)に滅ぼされ、草深く、露繁き地となること遠い先のことではありません。わたしに、もしそれまで命あればですが、昔の跡を見るような思いです、袖より余る荊棘([イバラなど、とげのある低い木])の露深い階を、上っているように思えて、このような姿で渡ったのです」と申しました。君王(夫差)をはじめ、聞く者にとっては、不思議なことでした。果たして思い合わせられたのでした。
(続く)