呉王、自ら相戦ふ事、三十二箇度なり。夜半に及びて、百余人の兵、六十騎に成り、枯蘇山に上りて、越王の方へ使ひを立てて、「君王、昔、会稽山に苦しめおき、越王勾踐が命を助けし事、忘れべきにあらず。自らが臣下と成り、今、この乱の起こす事、偏へに助けし重恩にあらずや。我も、今より後、越王の如く、また君王の玉趾を頂かん。君、もし会稽の恩を忘れずは、今日の死を助け給へ」と、言葉を尽くしけり。
呉王(夫差)は、自ら兵を率いて越と戦うこと、三十二度でした。夜半に及んで、百余人の兵は、六十騎になり、枯蘇山(現江蘇省蘇州市姑蘇区)に上り、越王(勾踐)の方へ使いを立てて、「君王(勾踐)が、昔、会稽山に攻め置かれた時、越王勾踐の命を助けたことを、忘れてはいないでしょう。勾踐自ら臣下となり、今、この乱の起こすことができたのも、あの時助けた重恩によるものではないですか。我も、今より後、越王と同じように、君王の玉趾([貴人の足])の前にひざまずきましょう。君よ、もし会稽の恩を忘れていないのならば、今日の死を助けられますよう」と、言葉を尽くして懇願しました。
(続く)