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Santa Lab's Blog


「曽我物語」祐清、京へ上る事(その2)

九郎、重ねて申しけるは、「御免候はば、たちまち平家へまゐり、君の御かたきと成り参らせ、後ろ矢仕るべし」と、再三申しけれども、御用ひなく、「たとひ敵と成ると言ふとも、頼朝が手にては、如何でか斬るべき」とおほせ下されければ、力及ばず、京都きやうとに上り、平家に奉公致しける。北陸道ほくろくだうの合戦の時、加賀の国篠原にて、斎藤別当べつたう一所に討ち死にして、名を後代こうたいに止む。良きさぶらひの振る舞ひ、弓矢の義理、これにしかじと、しまぬ者はなかりけり。




九郎(伊東祐清すけきよ)が、重ねて申すには、「ご免されますれば、たちまち平家に参り、君(源頼朝)の敵となり、後矢([敵に内通して味方の背後から矢を射かけること])を参らせることになりましょう」と、再三申しましたが、頼朝は聞く耳を持たず、「たとえ敵となるにせよ、この頼朝の手にかけて、斬ることなどできぬ」と仰せ下されたので、力及ばず、京都に上り、平家に奉公するところとなりました。祐清は北陸道の合戦(篠原の戦い(1183))の時、加賀国篠原(現石川県加賀市)で、斎藤別当(斎藤実盛さねもり)一つ所に討ち死にして、名を後代に残しました。秀れた侍の振る舞い、弓矢(武士)の義理、祐清に勝るものはないと、惜しまぬ者はいませんでした。


続く


by santalab | 2015-06-30 11:41 | 曽我物語

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