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「曽我物語」八幡大菩薩の事(その1)

そもそも、八幡大菩薩を、かたじけなくも、鶴岡つるがをかに崇め奉る。これを若宮とかうす。蘋繁ひんぱむの礼、社壇に繁く、奉幣ほうへい人王にんわうのせきしやうなり。その垂迹すいじやく三所さんじよに、仲哀ちゆうあい神功じんぐう応神おうじん三皇くわう玉体ぎよくたいなり。本地ほんぢを思へば、弥陀三尊の聖容しやうよう行教ぎやうけう和尚くわしやう三衣さんゑたもとあらはし給へり。百皇はくくわう鎮護の誓ひを起こして、一天静謐せいひつの恵みまします。まことにこれ、本朝ほんてう宗廟そうべうとして、源氏を守り給ふとかや。現世げんぜ安穏あんをん方便はうべんは、観音くわんおん・勢至、神力を受け給ふ。後生ごしやう善処の利益りやくは、無量寿仏むりやうじゆぶつの誓ひを施し給ふ。あふぎても信ずべきは、もつともこの御神なり。




そもそも、八幡大菩薩を、畏れ多くも、鶴岡(現神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮)に勧請しました。これを若宮と呼びました。蘋繁([粗末な供え物])を供え、社壇には多くの、奉幣が掲げられ、人王(初代神武天皇以降)のせきしやう(誓盛?)の地でした。その垂迹([仏・菩薩が衆生を救うために仮の姿をとってこの世に現れたその仮の姿])三柱は、仲哀(第十四代天皇)・神功(神功皇后。仲哀天皇皇后)・応神(第十五代天皇)三皇の玉体([天子または貴人の姿])でした(鶴岡八幡宮の際神は、応神天皇・比売神・神功皇后)。本地([仏・菩薩の本来の姿])を思えば、弥陀三尊([阿弥陀如来を中尊とし、左脇侍の観音菩薩と右脇侍の勢至菩薩])の聖容は、行教和尚(現奈良県奈良市にある大安寺の僧)の三衣([僧が着る三種の袈裟。僧伽梨そうぎやり=九条・鬱多羅僧うつたらそう=七条・安陀会あんだえ=五条])の袂を現していました。百皇鎮護の誓いを起こして、一天静謐([世の中が穏やかに治まっていること])の恵みがありました。まことにこれ、本朝の宗廟([氏族が先祖に対する祭祀を行う廟])として、源氏を守っておられるとか。現世安穏の方便([人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段])は、観音・勢至の、神力を受けていました。後生善処([後生でよい世界に生まれること])の利益([特に仏の力によって授かる恵み])は、無量寿仏([阿弥陀仏])の誓いを施していました。仰ぎて信じるべきは、鶴岡八幡宮の神でした。


続く


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by santalab | 2015-07-03 16:59 | 曽我物語

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