そもそも、富楼那の弁舌にて、くわうの怒りを止めける来歴を尋ぬるに、昔、釈尊、霊山にて法を説き給ひしに、波斯匿王、聞法結縁の為に、参らせられたり。富楼那尊者と申すは、弁舌第一の仏弟子にてましましけり。しかれども、 かのくわうの臣下の子なり。教法に心を染めて、くわうの方をだに見遣り給はざりける。くわう、怒りをなしていはく、「さても、尊者は、 自ら仏前にありつるを、遂にそれとだにも見られざりつる奇怪さよ。この度、参らむ時は、その色見すべし」とて、幸臣数相具し、怨敵を含みて、参られける時、富楼那尊者は、路中にて行き合ひ給ひ、「如何に尊者、いづくへ」と問ふ。
そもそも、富楼那([釈迦十大弟子の一人。 説法第一。 十大弟子中では最古参。大勢いた弟子達の中でも、弁舌に優れていたとされる])の弁舌により、くわう(波斯匿王。古代インドに栄えたコーサラ国の王)の怒りを止めた来歴([由来])は、昔、釈尊(釈迦)が、霊山([霊鷲山]=[インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。釈迦仏が無量寿経や法華経を説いたとされる山])で法を説かれた時、波斯匿王は、聞法結縁のために、参りました。富楼那尊者と申すは、弁舌第一の仏弟子でした。とはいえ、かの匿王の臣下の子でもありました。教法に熱中し、匿王に気が付きませんでした。匿王が、怒り申すには、「どうして、尊者は、このわしが仏前にいたのに、遂にわしとも気付かなかったわしを馬鹿にしておるのか。今度、参る時は、わしの怒りを見せようぞ」と申して、幸臣([気に入りの家来。寵臣])を数連れて、恨みを含んで、参る時、富楼那尊者と、路中で行き合いました、「尊者よ、どこへ向かうておるのじゃ」と訊ねました。
(続く)