虎は、なほも涙に咽び、「流れを断つる身ほど、悲しき事はなし。夫の心を思ひ知れば、母の命に背く。また、母に従へば、時の綺羅に愛づるに似たり。とにもかくにも、我が思ひ、乱れ染めける黒髪の、飽かぬ情けの悲しさよ。如何なる罪の報いにて、女の身とは生まれけん。さればにや、五障三従と説き給ひけるぞや」とて、さめざめと泣き居たり。十郎、この有様を見て、「何かは苦しかるべき。一獻のほどの隙、出だし給へかし。母の命背きなば、冥の照覧も恐ろし」と申しければ、虎は、これにも従はで、ただ泣くより外の事はなし。
虎御前は、なおも涙に咽び、「流れを断つ身ほど、悲しいものはありません。夫の心を思い知れば、母の命に背くことになります。また、母に従えば、時の綺羅に靡くようなもの。とにもかくにも、我が思い、黒髪のように乱れて、つくづく情けとは悲しいもの。何の罪の報いで、女の身に生まれたのでしょう。まこと、五障三従([女性が 生れつき身にそなえている五種の障害 と、女性が従うべきものとされた三つの道])と説くのも理でしょう」と申して、さめざめと泣きました。十郎(曽我祐成)は、この有様を見て、「何の問題があろう。一獻のほどの隙よ、参るがよかろう。母の命に背けば、冥([冥土])の照覧も恐ろしい」と申しましたが、虎御前は、これにも従わず、ただ泣くばかりでした。
(続く)