ここに、また始めたる土器、虎が前にぞ置きける。取り上げけるを、今一度と強ひられて、受けて持ちける。義盛、これを見て、「如何に御前、その盃、いづ方へも思し召さん方へ、思ひ差しし給へ。これぞ、まことの心ならん」とありければ、七分に受けたる盃に、心を千々に使ひけり。和田に差し奉らん事、時の賞玩のいかんなし、されども、祐成の心恥づかしさよ、流れを断つる身なればとて、人を内に置きながら、座敷に出づるは、本意ならず、ましてや、この盃、義盛に差しなば、綺羅に愛でたりと思ひ給はんも口惜し、祐成に差すならば、座敷に事起こりなん、かくあるべしと知るならば、始めより出でもせで、内にて如何にも成るべきを、再び思ふ悲しさよ、よしよし、これも前世の事、もし思はずの事あらば、和田の前下がりに差し給ふ刀こそ、わらはが物よ、支ゆる体にもてなし、奪ひ取り、一刀差し、とにもかくにもと思ひ定<めて、義盛一目、祐成一目、心を使ひ、案じけり。
そこへ、また盃が廻されて、虎御前の前に置かれました。受け取った盃ですが、もう一杯と強いられて、盃を受けて持ちました。義盛(和田義盛)は、これを見て、「どうするや御前、その盃を、どちらへも思う方に、思い差し([決めた相手に杯を回すこと])せよ。これぞ、そなたの本心ぞ」と申したので、虎御前は七分に受けた盃に、心は千々に乱れました。和田(義盛)に差せば、時の賞玩([大切にされること])は間違いなし、けれども、祐成(曽我祐成)にどう思われるかと思えば恥ずかしいこと、流れを断つ身なればと、人(祐成)を内に残して、座敷に出たのも、本意ではなし、ましてや、この盃を、義盛に差せば、綺羅([栄華をきわめること。権勢の盛んなこと])に惹かれたと思われて無念なこと、祐成に差せば、座敷に事が起こるやも、こうなることを知っていれば、はじめから座敷に出ずに、内におればよかったものを、つくづく悲しい身であることよ、仕方のないこと、これも前世の業と思うほかありません、もし思いもしないことが起これば、和田が前下がりに差した刀を、取り、支えるふりをして、奪い取り、一刀差し、どうにでもなりましょうと思い切り、義盛を一目、祐成を一目見ながら、あれこれ、案じました。
(続く)