和田は、我にならではと思ふところに、さはなくて、「許させ給へ、さりとては、思ひの方を」と打ち笑ひ、十郎にこそ差されけれ。一座の人々、目を見合はせ、「これは如何に」と見るところに、祐成、盃取り上げて、「身の賜はらん事、狼籍に似たる。これをば御前に」と言ふ。義盛聞いて、「心ざしの横取り、無骨なり。如何でかさるべき。早や早や」と色代なり。さのみ辞すべきにあらず、十郎、盃取り上げ、三度干す。義盛、居丈高に成り、「年ほど、物憂き事はなし。義盛が齢、二十だにも若くは、御前には背かれじ。たとひ一旦嫌はるるとも、斯様の思ひざし、余所へは渡さじ。南無阿弥陀仏」と、高声なりければ、殊の外にて、にがにがしく見えければ、九十三騎の人々も、義秀の方を見遣りて、事や出で来なんと色めきたる体、差し現れける。十郎、元より騒がぬ男にて、何ほどの事かあるべき、事出で来なば、何十人もあれ、義盛と引き組みて、勝負をせんずるまでと思ひ切り、あざ笑ひてぞ居たりける。
和田(和田義盛)は、己の外はないと思っていましたが、そうでなく、「お許しくださいませ、とは申せ、思いの方に」と打ち笑い、十郎(曽我祐成)に差しました。一座の人々は、目を見合わせ、「これはどうなることか」と見るところに、祐成は、盃を取り上げて、「このわたしが賜わることは、狼籍([乱暴な振る舞い])に似たもの。これを御前に」と申しました。義盛はこれを聞いて、「心ざしの横取りは、無骨([無作法なこと])というもの。この盃を受けることはできぬ。早や早や」と盃を勧めました。そう言われて辞退はできず、十郎(祐成)は、盃を持ち上げ、三度干しました。義盛は、居丈高([人に対して威圧的な態度をとるさま])になり、「年ほど、悲しいものはなし。この義盛の齢が、二十も若ければ、虎御前に拒まれることはなかろう。たとえ一旦は嫌われるにせよ、そなたの思い差し([決めた相手に杯を回すこと])を、人には渡さぬ。南無阿弥陀仏」と、声高に申しました、たいそう、立腹しているように見えたので、九十三騎の人々も、義秀(朝比奈義秀)の方を見て、事が起こるのではないかと色めき立つように、見えました。十郎(祐成)は、元より騒がぬ男でしたので、何ほどのことがあろうか、もし事が起これば、何十人いようが、義盛と組んで、勝負するまでと覚悟を決めて、あざ笑っていました。
(続く)