「誰にや」と問ふ。「京の小二郎とて、河津殿在京の時、人に相馴れて、設け給ふ子なり。かれを呼び寄せて、語らはん」と言ひければ、五朗聞きて、「よくよく御ためらひ候へ。一腹一生の兄ならば、如何に臆病に候ふとも、罪科逃れ難くて、同意すべし。かれは、別の事。如何で左右なく、大事を仰せ出だされん。納まり難く思え候ふ。御契約には過ぐべからず候へども、もし聞き入れずは、悪き事や出で来なん。橘は、淮北に生じて、枳殻と成り、水土の事なればなり。隔てのあれば、兄弟なりとも、心を置くべきものをや」と言ひければ、
五朗(曽我時致)は「誰ですか」と訊ねました。「京の小二郎と言って、河津殿(河津祐泰)が在京の時、人に情けをかけて、設けた子よ。かれを呼び寄せて、仲間に入れようではないか」と申せば、五朗(時致)はこれを聞いて、「よくよくお考えください。一腹一生の兄ならば、どれほど臆病であろうと、罪科逃れ難くて、同意するでしょう。かれは、別腹です。どうしてためらいなしに、大事を申そうとするのですか。納得できません。契約に過ぎぬことではありますが、もし聞き入れない時には、悪いことが起こるやも知れません。橘は、淮北(中国安徽省)に生じて、枳殻([ミカン科。原産地は長江上流域])となりましたが、水土([水と土])があればこそ。隔てあれば、たとえ兄弟であっても、用心すべきではありませんか」と申しました、
(続く)