嫡子犬房に酌取らせ、酒盛りしける折節なり。幾程の栄華なるべき、今宵の夜半に引き替へん事の無慙さよと思ひながら、座敷にぞ直りける。
祐経、敷皮を去りて、「これへ」と言ふ。十郎、「かくて候はん」とて、押し退け居たり。祐経が初対面の言葉ぞ強かりける。「まことや、殿ばらは、祐経を敵とのたまふなる。努々用ひ給ふべからず。人の讒言なりと思えたり。差し当たる道理に任せて、人の申すも理なり。伊東は、嫡々なる間、祐経こそ持つべき所を、面々祖父伊東殿横領し、一所をも分けられざりしかば、一旦は恨むべかりしを、第一養父なり、第二に叔父なり、第三に烏帽子親なり、第四に舅なり、第五に一族の中の老者なり、一方ならざるに依りて、堪へて過ぎしに、これはただ、『高きに臨み上らざれ、賎しきを誹り笑はざれ』と言ふ本文を捨てて、我らを員外に思ひ給ふ故なり。
嫡子犬房に酌をさせ、酒盛りの最中でした。いかほどの栄華であろうか、今宵の夜半には引き替えることになる憐れさよと思いながら、座敷に着きました。祐経(工藤祐経)は、敷皮([毛皮の敷物])を退けて、「これへ」と勧めました。十郎(曽我祐成)は、「このままで結構です」と申して、押し退けました。祐経の初対面の言葉は無遠慮でした。「まことか、殿たちは、この祐経を敵と申していると聞く。わしはまったく信じておらぬが。人の讒言と思うておる。差し当たる道理を思えば、人が申すのも当然のこと。伊東(伊東庄。現静岡県伊東市)は、嫡々相伝の所、この祐経が所有すべき所を、面々の祖父伊東殿(伊東祐親)が横領し、一所をも分けられることなく、一旦は恨みに思うたが、第一養父であり、第二に叔父であり、第三に烏帽子親であり、第四に舅(祐経の妻は、伊東祐親の娘、万劫御前)であり、第五に一族の中の老者であり、どれもおろそかにはできぬこと、堪えて来たのだ、これはつまり、『高山に臨んで上ること叶わなくとも、賎しきを誹り笑われぬよう』と言う本文を捨てて、我らを員外([定められた数に入らないこと])に思っておったからであろう。
(続く)