朝綱、畏まつて申しけるは、「然る事の候ふ。昔、保昌と言ひし人、丹後の国に下り給ふ。かの国に、朝妻とて、日本一の狩座あり。その山の鹿は、夕よりも夜に入れば、山には住まで、渚に下りて、数を尽くして並び伏す。その隙に、山へ勢子を入れて、夜中に引き回し、海には船を浮かべ、暁に及び、広き浜に追ひ出だし、思ひ思ひに射取る。海に入るをば、櫓櫂にて打ち取らんとす。保昌、これを聞き、朝妻に陣を取り、射手を三百人添へ、勢子を山に入れ、明くるを遅しと待ちけるところに、夜半ばかりに及び、鹿の声聞こえけり。
朝綱(宇都宮朝綱)が、畏まって申すには、「こういう話がございます。昔、保昌(藤原保昌)と言う人が、丹後の国に下りました。かの国に、朝妻(現京都府与謝郡伊根町)と申して、日本一の狩座([狩場])がございました。その山の鹿は、夕よりも夜に入れば、山には住まず、渚に下りて、数を尽くして並んで眠ります。その隙に、山に勢子([狩猟の場で、鳥獣を追い出したり、他へ逃げるのを防いだりする役目の人])を入れて、夜中に引き回し、海には船を浮かべ、暁に及び、広い浜に追ひ出し、思い思いに射捕ります。海に入る鹿は、櫓櫂で捕らえます。保昌は、これを聞き、朝妻に陣を取り、射手を三百人取り揃え、勢子を山に入れ、夜明けを遅しと待つところに、夜半ばかりに及び、鹿の声が聞こえました。
(続く)