我が身、父方の祖母の家を伝へて、久しくかの所に住む。その後、縁欠けて、身衰へ、慕ぶ方々繁かりしかど、遂に跡留むることを得ず。三十余りにして、更に我が心と一つの庵を結ぶ。これをありし住まひに並ぶるに、十分が一つなり。居屋ばかりを構へて、はかばかしく屋を造るに及ばず。わづかに築地を築けりといへども、門立つる方便なし。竹を柱として、車を宿せり。
わたしは、父(鴨長継)方の祖母の家を継いで、長くそこに住んでいました。その後、縁欠けて(父長継の死)より、身は衰え、縁故の地は数多くありましたが、遂に跡を留めることはありませんでした。三十余りにして、我が心に適う一つの庵を結びました。これをかつての住まいに比べると、十分の一の広さでした。居屋ばかりを構えて、満足に屋を造ることもありませんでした。わずかに築地([土塀])を築きましたが、門を立てる方便([手段])はありませんでした。ただ竹を門柱として、車を留めました。
(続く)