本院は、故院の御第三年の事思し入りて、正月の末つ方より、六条殿の長講堂にて、あはれに尊く行はせ給ふ。御指の血を出だして、御手づから法華経など書かせ給ふ。衆僧も十余人がほど召し置きて、懺法など読ませらる。御掟の思はずなりしつらさをも、思し知らぬにはあらねど、それもさるべきにこそはあらめと、いよいよ御心を致して、懇ろに孝じ申させ給ふ様、いとあはれなり。
本院(第八十九代後深草院)は、故院(第八十八代後嵯峨院)の三回忌のことばかり思われて、正月の末頃より、六条殿(第七十七代後白河院の院御所)の長講堂(現京都市下京区にある寺)にて、熱心に勤行されておられました。指の血を出されて、みずから法華経を書かれました。衆僧も十人余りを置かれて、懺法([ 経を誦し罪過を懺悔する儀式作法])など読ませられました。掟([意向])の思い通りにならなかったつらさ(後嵯峨院が同じ兄弟である第九十代亀山院を寵愛したこと)を、知らない訳ではございませんでしたが、それを行いの障りにすべきでないと、ますます心を尽くして、一心に孝養される姿は、ごりっぱでございました。
(続く)