皆紅の五つ衣、同じき単、車の尻より出ださる。十一月十九日、また官の庁へ行幸、二十日より五節始まるべく聞こえしを、蒙古起こるとて止まりぬ。二十二日、大嘗会、廻立殿の行幸、節会ばかり行はれて、清暑堂の御神楽もなし。
皆紅の五つ衣([女房装束で、表衣と単との間に五枚の袿を重ねて着ること])、同じ単([単衣]=[裏のついていない衣])を、車の後より出しておりました。十一月十九日に、また官庁へ行幸、二十日より五節([奈良時代以後、大嘗祭・新嘗祭に行われた五節の舞を中心とする宮中行事])が始まると聞こえましたが、蒙古が攻めてきた(文永の役)ということで中止になりました。二十二日に、大嘗会([即位後初めての新嘗祭])、廻立殿([大嘗祭の時に天皇が湯浴みをし、装束を改める殿舎])の行幸、節会ばかり行われて、清暑堂([平安京大内裏豊楽院内の殿舎。豊楽殿の北、不老門の南にあり、古くは大嘗会・五節が行われた])の御神楽([神を祀るために奏する舞楽。宮中の神事芸能])もございませんでした。
(続く)