加様に大手の軍強ければ、佐々木判官が手の者千余人、後ろへ廻つて錦小路より、在家を打ち破つて乱れ入る。多治見今はこれまでとや思ひけん、中門に並み居て、二十二人の者ども、互に差し違へ差し違へ、算を散らせる如く臥したりける。追手の寄せ手どもが、門を破りけるその間に、搦め手の勢ども乱れ入り、首を取つて六波羅へ馳せ帰る。二時計りの合戦に、手負ひ死人を数ふるに、二百七十三人なり。
こうして大手([敵を表門または正面から攻める軍隊])の軍は強かったので、佐々木判官(佐々木道誉)の手の者千余人は、後ろに廻って錦小路(四条を東西に通る小路)より、在家を打ち破って乱れ入りました。多治見(多治見国長)は今はこれまでと思ったか、中門に集まり、二十二人の者どもは、互いに刺し違えて、算を散らした([算木をばらばらにする])如く倒れ付しました。追手([敵の正面を攻撃する軍勢])の寄せ手どもが、門を破るその間に、搦手([城の裏門や敵陣の後ろ側を攻める軍勢])の勢どもが乱れ入り、首を取って六波羅へ馳せ帰りました。二時計りの合戦で、手負い死人を数えれば、二百七十三人に及びました。
(続く)