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「太平記」左馬頭基氏逝去事

かくては天下もいかんと危ぶめるところに、今年の春の頃より、鎌倉の左馬のかみ基氏もとうぢ、いささか不例の事ありと聞こへしかば、貞治ぢやうぢ六年四月二十六日にじふろくにち、生年二十八歳にじふはつさいにてたちまちに逝去せいきよし給ひけり。連枝れんし鍾愛しようあいは多けれども、この別れに至つてはいかでか悲しむべからず。いはんやこれはただ二人ににん二翼両輪によくりやうりんの如くに華夷くわい鎮撫ちんぶとなり給ひしかば、さらぬ別れの悲しさもさる事ながら、関東くわんとう柱石ちゆうせき砕けぬれば、柳営りうえいの力衰へぬと、愁歎しうたん殊に浅からず。これにつきて京都大きに怖れ慎みて、祈祷きたうなどもあるべしと沙汰ありけり。




こうなっては天下もどうなることかと危ぶんでいるところに、今年の春頃より、鎌倉左馬頭基氏(足利基氏。足利尊氏の四男)が、わずかに病気を患ったと聞こえて、貞治六年(1367)四月二十六日に、生年二十八歳にしてたちまち逝去しました。連枝([貴人の兄弟姉妹])の鍾愛([大切にしてかわいがること])は多くありましたが、
この別れを悲しまないはずはありませんでした。言うまでもなくこの二人(足利基氏と足利義詮よしあきら)は、二翼両輪(左右の翼、車輪の両軸)のように、華夷([文明の地と野蛮未開の地])の鎮撫([反乱や暴動などをしずめて、民を安心させること])でしたので、悲しまない別れというものはありませんが、関東の柱石が砕けてしまえば、柳営([将軍家])の力も衰えてしまったと、愁歎はとりわけ深いものでした。基氏の逝去に対して京都(朝廷)ではたいそう恐れ斎戒あって、祈祷などを執り行うべきとの沙汰がありました。


続く


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by santalab | 2015-11-24 22:09 | 太平記 | Comments(0)

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