顕家卿南都に着きて、且く汗馬の足を休めて、諸卒に向かつて合戦の異見を問ひ給ひければ、白河の結城入道進みて申しけるは、「今度於路次、度々の合戦に討ち勝ち、所々の強敵を追つ散らし、上洛の道を開くといへども、青野原の合戦に、いささか利を失ふに依つて、黒地の橋をも渡り得ず、このまま吉野殿へ参らん事、余りに云ふ甲斐なく思へ候ふ。ただこの御勢を以つて都へ攻め上り、朝敵を一時に追ひ落とすか、もし不然ば、屍を王城の土に埋み候はんこそ本意にて候へ」と、まことに無予義申しけり。顕家の卿も、この義げにもと甘心せられしかば、やがて京都へ攻め上り給はんとの企てなり。
顕家卿(北畠顕家)は南都に着いて、しばらく汗馬の足を休めて、諸卒に向かって合戦の異見([意見])を訊ねると、白河の結城入道(結城宗広)が進んで申すには、「この度路次において、度々の合戦に討ち勝ち、所々の強敵を追い散らし、上洛の道を開くといえども、青野原(現岐阜県大垣市)での合戦では、わずかに打ち負けて、黒地(黒血川=藤古川。現滋賀県米原市と岐阜県不破郡関ケ原町及び大垣市を流れる木曽川水系の河川)の橋をも渡り得ず、このまま吉野殿へ参るのは、あまりに面目ないことではございませんか。この勢で都へ攻め上り、朝敵を一時に追い落とすか、もし叶わずは、屍を王城の土に埋めることこそ本意でございます」と、まこと予義なく申しました。顕家卿も、この意見に甘心([納得すること。 同意すること])して、やがて京都へ攻め上ることにしました。
(続く)