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「太平記」足利殿打越大江山事(その2)

奴可四郎、「いしくものたまひたり。我も事のてい怪しくは存じながら、これもまた如何なる配立はいりふかあるらんと、とかう案じける間に、早や今日こんにちの合戦にははづれぬる事こそ安からね。ただしこの人敵に成り給ひぬと見ながら、ただ引つかへしたらんは、余りに云ふ甲斐かひなく思ゆれば、いざ一矢射て帰らん」と云ふままに、中差し取つて打つつがひ、轟懸とどろかけてかさへ打つてまはさんとしけるを、中吉なかぎり、「如何なる事ぞ。御辺は物に狂ふか。我らわづかに二三十騎にて、あの大勢に懸け合ひて、犬死にしたらんは本意か。をごの高名はせぬに不如、ただ無事故引つ返して、後の合戦の為に命をまつたうしたらんこそ、忠義を存じたる者なりけりと、後までの名も留まらんずれ」と、再往さいわう制止ければ、げにもとや思ひけん、奴可ぬかの四郎も中吉も、大江山おいのやまより馬を引つ返して、六波羅へこそ打ちかへりけれ。彼ら二人ににん馳せ参じて事の由をまうしければ、りやう六波羅は、楯鉾たてほことも被憑たりける名越なごや尾張をはりかみは被討ぬ。これぞ骨肉の如くなれば、さりとも二心はおはせじと、水魚すゐぎよの思ひを被成つる足利殿さへ、敵に成り給ひぬれば、たのもとに雨のたまらぬ心地して、心細きに付けても、今まで付き纒ひたるつはものどもも、またさこそはあらめと、心の被置ぬ人もなし。




奴可四郎は、「よくぞ申した。わしも成り行きを怪しく思いながら、これもまた訳あっての配立([手分けをして備えにつかせること])に違いないと、思っておったのに、すでに今日の合戦に加わることもなくどういうつもりだと思っておったのだ。ただこの人(足利高氏)が敵になったと知って、ここから引き返せば、どうなることか心配よ、さて一矢射てから戻るか」と言って、中差し([征矢])を番い、馬を轟かせて嵩([高い所])へ向かおうとしました、中吉(十郎)は、「何をするつもりぞ。お主はとち狂ったか。我らの勢わずか二三十騎で、あの大勢に駆け合って、犬死するのが本意か。愚かな高名はせぬことぞ、ただ無事に引き返して、後の合戦に命を全うすることこそ、忠義ある者として、後までの名も残すものぞ」と、再三止めたので、確かにと思い、奴可四郎も中吉(十郎)も、大江山(京都府丹後半島の付け根に位置し与謝郡与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山)より馬を引き返して、六波羅に帰りました。彼ら二人が馳せ参じて事の由を申し上げると、両六波羅(北方は北条仲時なかとき、南方は北条時益ときます)は、楯鉾と頼みにしていた名越尾張守(北条高家たかいへ)はすでに討たれた。これこそ骨肉([血筋のつながっている人。 親子や兄弟。肉親])のようなもの、何があろうと二心はないものと、水魚の思い([決して切ることができない関係])と思っていた足利殿(足利高氏)さえ、敵になったと知って、頼む木の下で雨を避けることができない気がして、心細く思うに付け、今まで付き従う兵どもも、また同じ思いだろうと、不安に思わない人はいませんでした。


続く


by santalab | 2015-12-04 08:58 | 太平記

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