その後、曽我の人々を近付けて、「今夜、重忠が所へましませ。歌の物語申さん」とのたまへば、畏まり存ずる由、返事して、十郎、弟に言ひけるは、「畠山殿は、情けを以つて、早や、この事を知り給ひけるぞや。『耳を信じて、目を疑ふ者は、耳の常の弊なり。尊みて、近付くを賎しむる者は、人の常の情け』と、抱朴子に見えたり。然れば、歌の心は如何に」と問へば、「知らず」と言ふ。十郎は、万に情け深くして、歌の心を得たり。
その後、曽我の人々(曽我祐成・時致)を近付けて、「今夜、重忠(畠山重忠)の所に参られよ。歌について語ろうではないか」と申せば、畏まり、返事して、十郎(曽我祐成)が、弟(曽我時致)に申すには、「畠山殿は、情けのある人よ、すでに、我らの心を知っておるのだろう。『耳を信じて、目を疑うのが、世の常というもの([耳を信じて目を疑う]=[人の言ったことを信じて、自分の目で見たことは信じないこと])。遠くをありがたく思い、近くを軽んじるのも、また同じこと』と、抱朴子(葛洪。西晋・東晋時代の道教研究家・著述家。およびその著書名)に書かれておる。なれば、歌の心は自ずと知るところよ」と訊ねると、五朗は「分かりかねます」と答えました。十郎は、情け深い者なれば、歌の意味を理解しました。
(続く)