さればとて、これほどまで習したる猿楽を、さて可有に非ずとて、また吉日を定め、堂の前に舞台を敷き、桟敷を打ち双べたれば、見物の輩群をなせり。猿楽すでに半ばなりける時、遥かなる海上に、装束の唐笠ほどなる光り物、二三百出で来たり。海人の縄焚く居去火か、鵜舟に燈す篝火かと見れば、それにはあらで、一叢立つたる黒雲の中に、玉の輿を舁き連ね、懼ろしげなる鬼形の者ども前後左右に連なりたり。その迹に色々に胄うたる兵百騎許り、細馬に轡を噛ませて供奉したり。近く成りしよりその貌は不見。黒雲の中に電光時々して、只今猿楽する舞台の上に差し覆ひたる森の梢にぞ止まりける。見物衆皆肝を冷やすところに、雲の中より高声に、「大森彦七殿に可申事あつて、楠木正成参じて候ふなり」とぞ呼ばはりける。彦七、加様の事にかつて恐れぬ者なりければ、少しも不臆、「人死して再び帰る事なし。定めてその魂魄の霊鬼と成りたるにてぞあるらん。それはよし何にてもあれ、楠木殿は何事の用あつて、今ここに現じて盛長をば呼び給ふぞ」と問へば、
けれども、いままで身に付けた猿楽([平安時代に成立した日本の伝統芸能])を、披露せずにはおれまいと、また吉日を定め、堂の前に舞台を敷き、桟敷を打ち並べると、猿楽がすでに半ばになった頃、遥かの海上に、唐笠ほどの大きさの光り物が、二三百現れました。海人が焚く漁火か、鵜舟に燈す篝火かと見れば、そうでなく、一叢立つ黒雲の中から、玉の輿を舁き連ね、恐ろしげな鬼形の者どもが前後左右に連ねて現れました。その後には色々の鎧を着けた兵が百騎ばかり、細馬([上等な馬])に轡を噛ませて供奉していました。次第に近付きましたが何物かは知れませんでした。黒雲は時々雷光りを放ちながら、猿楽をしていた舞台の上を覆う森の梢に止まりました。見物衆が皆肝を冷やしていると、雲の中より大声で、「大森彦七殿(大森盛長)に申すべきことあって、楠木正成が参った次第である」と叫びました。彦七は、このようなものを恐れぬ者だ。したので、少しも臆することなく、「人は死んで再びこの世に帰ることはない。きっとその魂魄([霊魂])が霊鬼となったのであろう。そんなことはどうでもよいが、楠木殿(楠木正成)は何の用があって、今ここに現われてこの盛長を呼ぶのだ」と訊ねました、
(続く)