加様の夭怪、触穢に可成、今年の大甞会を可被停止、かつうは先例を引き、かつうは法令に任せて可勘申、法家の輩に被尋下。皆、「一年の触穢にて候ふべし」と勘へ申しける中に、前の大判事明清が勘状に、法令の文を引いて云はく、「神道は依王道所用といへり。然らばただ宜しく在叡慮」とぞ勘へ申したりける。ここに神祇の大副卜部の宿禰兼豊一人、大きに忿つて申しけるは、「如法意勘進して非触穢儀、神道はなきものにてこそ候へ。およそ一陽分かれて後、清濁汚穢を忌み慎しむ事、ことさらこれ神道の所重なり。しかるを無触穢儀、大礼の神事無為に被行、一流れの神書を火に入れて、出家遁世の身と可罷成」と無所憚申しける。若殿上人などこれを聞きて、「余りに厳重なる申し言かな、少々は存ずるところありとも残せかし。四海もし無事にして、一事の無違乱大甞会を被行ば、兼豊が髻は不便の事かな」とぞ被笑ける。
このような妖怪は、触穢([神道上において不浄とされる穢に接触して汚染されること])ともなるか、今年の大嘗会([大嘗祭]=[天皇が即位後初めて行う新嘗祭。その年の新穀を天皇が天照大神および天神地祇に供え、自らも食する、一代一度の大祭])を止めるべきか否かと、先例を引き、法令に任せて、法家の輩に申し下されました。皆も、「一年の触穢でございましょう」と申す中にあって、前大判事明清の勘状([吉凶の占いなどによった判断・意見を記した文書])には、法令の文を引いて、「神道は王道のためのものと申します。ならばよくよく叡慮なされお決めになられますように」と書かれてありました。ここに神祇大副卜部宿禰兼豊(卜部兼豊)一人が、たいそう怒って申すには、「法意([法の趣旨])に照らせばどうして穢儀にあらずと申すべき、神道はないも同じこと。天と地が分かれてこの方、地に清濁([善悪])ある中でも汚穢を忌み慎しむことこそ、とりわけ神道にとって大事なことです。なのに触穢にあらずと、大礼の神事を思慮なく行うと申すのならば、一流れの神書を火に入れて、出家遁世の身となりましょう」と憚りなく申しました。若殿上人はこれを聞いて、「あまりにも強弁ではないか、存ずるところあるとも少々は余地を残すべき。四海([国内])が無事にして、違乱([物事が乱れること])なく大嘗会が行われた時には、兼豊の髻は不便([気の毒なこと])にも切られることになろう」と申して笑いました。
(続く)