されども主上も上皇も、この明清が勘文御心に叶ひてげにもと被思召ければ、今年大甞会を可被行とて武家へ院宣を被成下。武家これを施行して、国々へ大甞会米を宛て課せて、不日に責め徴る。近年は天下の兵乱打ち続いて、国弊え民苦しめるところに、君の御位恒に替はつて、大礼止む時なかりしかば、人の歎きのみあつて、いささかもこれこそ仁政なれと思ふ事もなし。されば事騒がしの大甞会や、今年はなくてもありなんと、世皆脣を翻へせり。
けれども主上(北朝第三代、崇光天皇)も上皇(北朝初代、光厳天皇)も、明清の勘文([吉凶の占いなどによった判断・意見を記した文書])が意に適うものでしたので、今年大嘗会([大嘗祭]=[天皇が即位後初めて行う新嘗祭。その年の新穀を天皇が天照大神および天神地祇に供え、自らも食する、一代一度の大祭])を行うと武家へ院宣を下されました。武家はこれをもって、国々へ大嘗会米([段銭]=[税])を課し、日を置かず取り立てました。近年は天下に兵乱が打ち続いて、国は疲弊し人民が苦しむところに、君の位は度々替わって、大礼が止む時もありませんでした、人の嘆きばかりあって、わずかも仁政とは思いませんでした。ならば事穏やかならぬ大嘗会を、今年は行わなくともよいものをと、世の人は皆脣を翻えして非難しました。