石の鳥居を過ぐるとて見れば我が父と共に討ち死にしける人見四郎入道が書き付けたる歌あり。これぞまことに後世までの物語に可留事よと思ひければ、右の小指を喰ひ切つて、その血を以つて一首を側に書き添へて、赤坂の城へぞ向かひける。城近く成りぬる所にて馬より下り、弓を脇に差し挟んで城戸を叩き、「城中の人々に可申事あり」と呼ばはりけり。やや暫くあつて、兵二人櫓の小間より顔を指し出だして、「誰人にて御渡り候ふや」と問ひければ、「これは今朝この城に向かつて打ち死にして候ひつる、本間九郎資貞が嫡子、源内兵衛資忠と申す者にて候ふなり。人の親の子を思ふ哀れみ、心の闇に迷ふ習ひにて候ふ間、共に打ち死にせん事を悲しみて、我に不知して、只一人打ち死にしけるにて候ふ。相伴ふ者なくて、中有の途に迷ふらん。さこそと被思遣候へば、同じく打ち死に仕りて、なき迹まで父に孝道を尽くし候はばやと存じて、ただ一騎相向かつて候ふなり。城の大将にこの由を被申候ひて、木戸を被開候へ。父が打ち死にの所にて、同じく命を止めて、その望みを達し候はん」と、慇懃に事を請ひ泪に咽んでぞ立つたりける。
石の鳥居を通り過ぎようと見れば我が父(本間資貞)とともに討ち死にした人見四入道(人見光行)が書き付けた歌がありました。これぞまことに後世までの物語に留めるべきと思い、資忠(本間資忠)は右の小指を喰い切って、その血で一首を側に書き添えて、赤坂城(現大阪府南河内郡千早赤阪村にあった山城)へ向かいました。城近くになった所で馬から下りて、弓を脇に差し挟んで城戸を叩き、「城中の人々に申すことあり」と叫びました。ややしばらくあって、兵が二人櫓の小間より顔を指し出して、「誰だ」と訊ねると、「これは今朝この城に向かつて討ち死にした、本間九郎資貞(本間資貞)の嫡子、源内兵衛資忠(本間資忠)と申す者です。人の親が子を思う哀れみ、心の闇に迷う習いですれば、ともに討ち死にすることを悲しんで、わたしに知らせずして、ただ一人討ち死にしたのです。打ち連れる者もなく、中有([死有から次の生有までの間])の途中で迷っておることでしょう。それを思えば、同じく討ち死にして、亡き後までも父に孝道を尽くそうと、ただ一騎で向かって来たのです。城の大将にこの旨を申されて、木戸を開かれますよう。父が討ち死にしたその所にて、同じく命を止めて、その望みを達したいのです」と、慇懃([真心がこもっていて、礼儀正しい こと])に頼み込み涙に咽んで立っていました。
(続く)