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「太平記」関東大勢上洛事(その3)

去るほどに元弘三年正月晦日つごもり、諸国の軍勢八十万騎はちじふまんぎ三手みてに分けて、吉野・赤坂・金剛山こんがうせんつの城へぞ被向ける。先づ吉野へは二階堂出羽ではの入道道蘊だううんを太将として、わざと他の勢を交へず、二万七千余騎にて、上道かみみち下道しもみち・中道より、三手に成つて相向かふ。赤坂へは阿曾弾正少弼あそだんじやうせうひつを大将として、その勢八万余騎、先づ天王寺てんわうじ・住吉に陣を張る。金剛山へは陸奥の右馬の助、搦め手の大将として、その勢二十万騎にじふまんぎ奈良路ならぢよりこそ被向けれ。




やがて元弘三年(1333)正月晦日、諸国の軍勢八十万騎を三手に分けて、吉野・赤坂・金剛山、三つの城に向かわせました。まず吉野城(現奈良県吉野郡吉野町)へは二階堂出羽入道道蘊(二階堂貞藤さだふぢ)を太将として、他の勢を交えず、二万七千余騎で、上道・下道・中道より、三手になって向かいました。赤坂城(現大阪府南河内郡千早赤阪村)へは阿曾弾正少弼(北条治時はるとき)を大将として、その勢八万余騎、まず天王寺(現大阪市天王寺区にある四天王寺)・住吉(現大阪市住吉区にある住吉大社)に陣を張りました。金剛山(現奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境にある山)へは陸奥右馬助(北条高直たかなほ)が、搦め手([城の裏門や敵陣の後ろ側を攻める軍勢])の大将として、その勢二十万騎で、奈良路より向かいました。


続く


by santalab | 2016-01-06 06:56 | 太平記

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