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「太平記」笠置軍事付陶山小見山夜討事(その4)

昨日きのふの合戦に、官軍くわんぐん打ち勝ちぬと聞こへしかば、国々の勢馳せ参りて、難儀なる事もこそあれ、時日を不可移とて、両検断りやうけんだん宇治にて四方しはうの手分けを定めて、九月二日笠置かさぎの城へ発向はつかうす。南の手には五畿内五箇国のつはものを被向。その勢七千六百余騎、光明山くわうみやうせんの後ろをまはつて搦め手に向かふ。東の手には、東海道十五箇国じふごかこくの内、伊賀・伊勢・尾張をはり・三河・遠江とほたふみつはものを被向。その勢二万五千余騎、伊賀路いがぢを経て金剛山越こんがうせんごえに向かふ。北の手には、山陰道せんいんだう八箇国の兵ども一万二千余騎、梨間なしまの宿のはづれより、市野辺山いちのべやまの麓をまはつて、追ふ手へ向かふ。西の手には、山陽道せんやうだう八箇国の兵を被向。その勢三万二千余騎、木津河きづがはを上りに、岸の上なる岨道そばみちを二手に分けて推し寄する。追ふ手搦め手、都合つがふ七万五千余騎、笠置の山の四方しはう二三里があひだは、尺地せきちも不残充満したり。




昨日の合戦に、官軍が勝ったと聞こえれば、国々の勢が馳せ参って、難儀になるやも知れぬ、時日を移すべからずと、六波羅の両検断([刑事裁判を司る職])は宇治で四方の手分けを定めて、九月二日に笠置城(現京都府相楽郡笠置町)へ発向しました。南の手には五畿内五箇国の兵を差し向けました。その勢七千六百余騎、光明山(現京都府木津川市)の後ろを廻って搦め手([城の裏門や敵陣の後ろ側を攻める軍勢])に向かいました。東の手には、東海道十五箇国の内、伊賀・伊勢・尾張・三河・遠江の兵を向かわせました。その勢二万五千余騎、伊賀路を経て金剛山越えに向かいました。北の手には、山陰道八箇国の兵ども一万二千余騎、梨間宿(現京都府城陽市)の外れより、市野辺山(市辺茶磨ちやうす山?)の麓を廻って、追手([大手]=[敵の正面を攻撃する軍勢])に向かいました。西の手には、山陽道八箇国の兵を向かわせました。その勢三万二千余騎は、木津川を上り、岸の上の岨道を二手に分けて押し寄せました。大手搦め手、都合七万五千余騎、笠置山の四方二三里の間は、尺地([わずかの土地])もなく兵で充満しました。


続く


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by santalab | 2016-01-16 09:00 | 太平記 | Comments(0)

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