伊豆の守その刀を手に取りながら、いくほどならぬ憂き世の名残り惜しみかねて、女房の方をつくづくと見て、袖を顔に押し当て、たださめざめと泣き居たるばかりにて、そぞろに時をぞ移されける。さるほどに八木光勝が中間どもに生け捕られて、被刺殺けるこそうたてけれ。武士たる人は、平生の振る舞ひはよしやともかくもあれ強ち見るところにあらず。ただ最期の死に様をこそ執する事なるに、きたなくも見へ給ひつる死に場かなと、爪弾きせぬ人もなかりけり。女房は年来日来の馴染み、昨日今日の情けの色、いつ忘るべしとも不覚と泣き悲しみてその淵瀬に身をも沈めんと、人目の隙を求め給ひけるを、年来知識に被憑たりける聖、とかく止め教訓して、往生院の道場にて髪剃り落とし奉て、亡き跡を弔ふ外はさらに他事なしとぞ聞こへし。加様に万成りぬれば、天下の政道しかしながら武家の執事の手に落ちて、今に乱れぬとぞ見へたりける。
伊豆守(上杉重能)はその刀を手に取りながらも、並々ならぬ憂き世の名残りを惜しんで、女房の方を見ては、袖を顔に押し当てて、たださめざめと泣くばかりで、いたずらに時を移しました。やがて八木光勝の中間([公家・寺院などに召し使 われた男])どもに生け捕られて、刺し殺されたのは情けないことでした。武士たる者は、平生の振る舞いはともかくも重要ではありません。ただ最期の死に様を潔くよくするものでしたが、恥ずかしくも思える死に様だと、非難しない者はいませんでした。女房は年来日来の馴染みで、昨日今日の情けを、いつ忘れるとも思えず泣き悲しんで淵瀬に身を沈めようと、人目の隙を窺っていましたが、年来智識の頼りにしていた聖が、宥め止め教訓して、往生院(現京都市右京区にある祇王寺か?)で髪を剃り落として、亡き跡を弔うほかは他事なしと聞こえました。このような世の中となって、天下の政道さえも武家の執事(政所)の手に落ちて、今に乱れが起こるように思えました。
(続く)