斯かりけるところに自呉国使者来たれり。越王驚いて以范蠡事の子細を問ひ給ふに、使者答へていはく、「我が君呉王大王好婬重色尋美人給ふ事天下に普し。しかれどもいまだ如西施不見顔色。越王出会稽山囲時有一言約。早くかの西施を呉の後宮へ奉傅入、備后妃位」使ひなり。越王聞之給ひて、「我呉王夫差が陣に降つて、忘恥甞石淋助命事、全く保国身を栄やかさんとにはあらず、ただ西施に為結偕老契なりき。生前に一度別れて死して後期再会、保万乗国何かせん。さればたとひ呉越の会盟破れて再び我為呉成擒とも、西施を送他国事は不可有」とぞのたまひける。范蠡流涙申しけるは、「まことに君展転の思ひを計るに、臣非不悲云へども、もし今西施を惜しみ給はば、呉越の軍再び破れて呉王又可発兵。さるほどならば、越の国を呉に被合のみにあらず、西施をも可奪、社稷をも可被傾。臣つらつら計るに、呉王好婬迷色事甚し。西施呉の後宮に入り給ふほどならば、呉王これに迷ひて失政事非所疑。国費へ民背かん時に及んで、起兵被攻呉勝つ事を立ち所に可得つ。これ子孫万歳に及んで、夫人連理の御契り可久道となるべし」と、一度は泣き一度は諌めて尽理申しければ、越王折理西施を呉国へぞ被送ける。
そうこうするところに呉国の使者がやって来ました。越王(勾践)は驚いて范蠡をもって事の子細を訊ねると、使者は答えて申すには、「我が君呉王大王(夫差)は婬を好み色を重んじ美人を天下に余す所なく探しました。けれども西施ほどの美人はいませんでした。越王(勾践)が会稽山の囲みを出る時約束したことです。早く西施を呉の後宮に参らせなさい。后妃の位に即けましょう」それを伝えるための使いでした。越王はこれを聞いて、「わたしが呉王夫差の陣に下って、恥を忘れ石淋を嘗め命を助けたのは、国を保ち身の栄を得るためではない、ただ西施と偕老の契り([偕老同穴]=[共に暮らして老い、死んだ後は同じ墓穴に葬られること])を結ぶためである。生前に一度別れて死して後の再会を待つ、保万乗([天子])として国を保ったところで何になろう。ならばたとえ呉越の会盟([諸侯が集まって盟約を結ぶこと])が破れて再びわたしが呉の虜となろうとも、西施を他国へ送ることはできない」と申しました。范蠡が涙を流して申すには、「まことに君の展転の思いを推し量れば、臣とて悲しまぬことはございませんが、もし今西施を惜しめば、呉越の同盟は再び敗れて呉王はまた兵を出すことでしょう。そうなれば、越の国を呉に捕られるだけでなく、西施も奪われ、社稷([国家])を失うことでしょう。臣が案じまするところ、呉王(夫差)婬は好み色に迷うこと並みのことではございません。西施が呉の後宮に入れば、呉王は西施に心迷い政を止めることは間違いありません。国は疲労し民が背く時を待って、兵を起こし呉を攻めればたちまちにして勝つことを得ましょう。国の安泰は子孫万歳に及び、夫人連理([男女の契りの深さ])の契りを久しくする道となりましょう」と、一度は泣き一度は諌めて理を尽くして申したので、越王は理に折れて西施を呉国に送りました。
(続く)