范蠡聞之、「時すでに到りぬ」と悦うで、自ら二十万騎の兵を率して、呉国へぞ押し寄せける。呉王夫差は折節晋の国呉を叛くと聞いて、晋国へ被向たる隙なりければ、防ぐ兵一人もなし。范蠡先づ西施を取り返して越王の宮へ帰し入れ奉り、姑蘇台を焼き払ふ。斉・楚の両国も越王に心ざしを通ぜしかば、三十万騎を出だして范蠡に戮力。呉王聞之先づ晋国の戦ひを差し置いて、呉国へ引つ返し、越に戦ひを挑まんとすれば、前には呉・越・斉・楚の兵如雲霞の、待ち懸けたり。後ろにはまた晋国の強敵乗勝追つ懸けたり。呉王大敵に前後を包まれて可遁方もなかりければ、軽死戦ふ事三日三夜、范蠡新手を入れ替へて不継息攻めける間、呉の兵三万余人討たれてわづかに百騎に成りにけり。
范蠡(中国春秋時代の越の政治家、軍人)はこれを聞いて、「時すでに到った」とよろこんで、自ら二十万騎の兵を率して、呉国に押し寄せました。呉王夫差はちょうど晋国が呉に背いたと聞いて、晋国に向かていましたので、防ぐ兵は一人も残っていませんでした。范蠡はまず西施を取り返して越王(勾践)の宮へ帰すと、姑蘇台(姑蘇城。現江蘇省蘇州市)を焼き払いました。斉・楚両国も越王に心ざしを通じていたので、三十万騎を出して范蠡に力を合わせました。呉王はこれを聞くとまずは晋国の戦いを差し置いて、呉国へ引き返し、越と戦いを挑もうとしましたが、前には呉・越・斉・楚の兵が雲霞の如く、待ち構えていました。後ろにはまた晋国の強敵が勝つに乗って追いかけてきました。呉王大敵に前後を囲まれて遁れる方もありませんでしたので、死を軽んじて戦うこと三日三夜、一方范蠡は新手を入れ替えて息も継がせず攻めたので、呉の兵三万余人は討たれてわずかに百騎になりました。
(続く)