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「太平記」亀寿殿令落信濃事付左近の大夫偽落奥州事(その4)

御局を始めまゐらせて、御乳母めのと女房にようばうたちに至るまで、「方見うたての事をまうすものかな。せめて敵の手に懸からばいかがせん。二人ににん公達きんだちを懐き育て進らせつる人々の手に懸けて失ひ奉らんを見聞きては、如何許りとか思ひ遣る。ただ我を先づ殺して後、何とも計へ」とて、をさなき人の前後に取り付いて、声も不惜泣き悲しみ給へば、盛高もりたかも目暮れ、心消え消えと成りしかども、思ひ切らでは叶うまじと思ひて、こゑをいららげ色を損じて、御局を奉睨、「武士の家に生まれん人、むつきうちより懸かる事可有と思し召されぬこそうたてけれ。大殿おほとののさこそ待ち思し召し候ふらん。早や御渡りさふらひて、守殿かうのとのの御伴申させ給へ」と云ふままに走り懸かり、亀寿殿を抱き取つて、よろひの上に舁き負うて、門より外へ走り出づれば、同音にわつと泣き連れ給ひし御声々こゑごゑ、遥かの余所まで聞こへつつ、耳の底に止れば、盛高もりたかも泪を堰き兼ねて、立ちかへつて見送れば、御乳母めのと御妻おさいは、歩跣かちはだしにて人目をも不憚走り出でさせ給ひて、四五町しごちやうがほどは、泣いては倒れ、たふれては起き迹に付いて被追けるを、盛高心強く行き方を知られじと、馬を進めて打つほどに後ろ影も見へず成りにければ、御妻、「今はたれを育て、誰を憑んで可惜命ぞや」とて、あたりなる古井ふるゐに身を投げて、つひに空しく成り給ふ。




局(二位局)をはじめ、乳母の女房たちにいたるまで、「悲しいことを申すものよ。敵の手に懸かればともかく。二人の君達(北条邦時くにとき・北条時行ときゆき)を抱き育てた人々の手に懸けて失うと見聞きいて、どれほど嘆いておると思っておるや。ただ我をまず殺して後に、好きにすればよい」と申して、幼い子の前後に取り付いて、声も惜しまず泣き悲しんだので、盛高(諏訪盛高)は目も暮れ、心も消えるほどでしたが、思い切らずには叶うまいと思い、声を張り上げ怒って、局を睨み付けると、「武士の家に生まれた人は、襁褓([おむつ])のうちよりこのような事があると思っておられるのが残念です。大殿(鎌倉幕府第十四代執権、北条高時たかとき)が首を長くして待っておられましょう。急ぎお渡りなされ、守殿(北条高時)のお伴をされますよう」と言うままに走り懸かり、亀寿殿(北条時行)を抱き取って、鎧の上から背負い、門より外へ走り出れば、声を合わせてわっと泣く声々が、遥か遠くまで聞こえて、耳の底に残りました、(諏訪)盛高も涙を堰き兼ねて、振り返って見れば、乳母の妻は、歩跣で人目も憚らず走り出でて、四五町のほどは、泣いては倒れ、倒れては起き上がり後に付いて追いかけていましたが、盛高は心強く行き方を知られまいと、馬を進めて打つほどに影も見えずになりました、妻は、「今は誰を育て、誰を頼んで惜しむ命よ」と申して、あたりの古井に身を投げて、終にむなしくなりました。


続く


by santalab | 2016-02-07 08:29 | 太平記

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