御局を始め進らせて、御乳母の女房たちに至るまで、「方見の事を申すものかな。せめて敵の手に懸からばいかがせん。二人の公達を懐き育て進らせつる人々の手に懸けて失ひ奉らんを見聞きては、如何許りとか思ひ遣る。ただ我を先づ殺して後、何とも計へ」とて、少き人の前後に取り付いて、声も不惜泣き悲しみ給へば、盛高も目暮れ、心消え消えと成りしかども、思ひ切らでは叶うまじと思ひて、声苛らげ色を損じて、御局を奉睨、「武士の家に生まれん人、襁の中より懸かる事可有と思し召されぬこそうたてけれ。大殿のさこそ待ち思し召し候ふらん。早や御渡り候ひて、守殿の御伴申させ給へ」と云ふままに走り懸かり、亀寿殿を抱き取つて、鎧の上に舁き負うて、門より外へ走り出づれば、同音にわつと泣き連れ給ひし御声々、遥かの余所まで聞こへつつ、耳の底に止れば、盛高も泪を堰き兼ねて、立ち返つて見送れば、御乳母の御妻は、歩跣にて人目をも不憚走り出でさせ給ひて、四五町がほどは、泣いては倒れ、倒れては起き迹に付いて被追けるを、盛高心強く行き方を知られじと、馬を進めて打つほどに後ろ影も見へず成りにければ、御妻、「今は誰を育て、誰を憑んで可惜命ぞや」とて、あたりなる古井に身を投げて、終に空しく成り給ふ。
局(二位局)をはじめ、乳母の女房たちにいたるまで、「悲しいことを申すものよ。敵の手に懸かればともかく。二人の君達(北条邦時・北条時行)を抱き育てた人々の手に懸けて失うと見聞きいて、どれほど嘆いておると思っておるや。ただ我をまず殺して後に、好きにすればよい」と申して、幼い子の前後に取り付いて、声も惜しまず泣き悲しんだので、盛高(諏訪盛高)は目も暮れ、心も消えるほどでしたが、思い切らずには叶うまいと思い、声を張り上げ怒って、局を睨み付けると、「武士の家に生まれた人は、襁褓([おむつ])のうちよりこのような事があると思っておられるのが残念です。大殿(鎌倉幕府第十四代執権、北条高時)が首を長くして待っておられましょう。急ぎお渡りなされ、守殿(北条高時)のお伴をされますよう」と言うままに走り懸かり、亀寿殿(北条時行)を抱き取って、鎧の上から背負い、門より外へ走り出れば、声を合わせてわっと泣く声々が、遥か遠くまで聞こえて、耳の底に残りました、(諏訪)盛高も涙を堰き兼ねて、振り返って見れば、乳母の妻は、歩跣で人目も憚らず走り出でて、四五町のほどは、泣いては倒れ、倒れては起き上がり後に付いて追いかけていましたが、盛高は心強く行き方を知られまいと、馬を進めて打つほどに影も見えずになりました、妻は、「今は誰を育て、誰を頼んで惜しむ命よ」と申して、あたりの古井に身を投げて、終にむなしくなりました。
(続く)