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「太平記」細川相摸守討死事付西長尾軍事(その10)

かかるところに笠符かさじるしかなぐり捨て、袖・兜に矢少々射付けられたる落ち武者ども、二三十騎道に行き合ひたり。跡に追ひ付きて、「軍の様なにとありけるぞ」と問ひ給へば、皆泣き声にて、「早や相摸殿は討たれさせ給ひて候ふなり」とぞ答へける。「こはいかに」とて、城を遥かに見上げたれば、敵早や入り替はりぬと思えて、見ざりし旗の紋ども関櫓きどやぐらの上に幽揚いうやうす。重ねて戦はんとするに力なく、立て籠もらんとするに城なければ、左馬の助・掃部かもんの助、落ち行く勢を引き具して、淡路国へぞ落ちられける。その国に心ざしありしつはものども、この事を聞いて、いつしか皆心替はりしければ、淡路にもなほたまり得ず、小船一艘いつさうに取り乗つて、和泉いづみの国へぞ落ちられける。これのみならず、西長尾にしながをじやうも攻められぬ先に落ちしかば、四国は時の間に静まりて、細川右馬のかみにぞ靡き従ひける。




ここに笠符をかなぐり捨てて、袖・兜に矢を少々射付けられた落武者ども、二三十騎と道で出会いました。後に追い付いて、「軍はどうなったか」と訊ねれば、皆泣き声で、「すでに相摸殿(細川清氏)は討たれてしまいました」と答えました。「どういうことだ」と、城を遥かに見上げれば、敵は早くも入れ替わったと思えて、見たことのない旗の紋が城戸櫓の上に翻っていました。重ねて戦おうにも力なく、立て籠もろうにも城もなく左馬助(細川頼和よりかず。清氏の弟)・掃部助(細川師氏もろうぢ。清氏の叔父)は、落ち行く勢を引き連れて、淡路国に落ちて行きました。讃岐国の(細川清氏に)与力していた兵どもは、これを聞いて、いつしか皆心変わりしたので、淡路にもいられず、小船一艘に取り乗って、和泉国へ落ちて行きました。これのみならず、西長尾城(現香川県丸亀市)も攻められる前に落とされて、四国はあっという間に静まって、細川右馬頭(細川頼之よりゆき)に従い付きました。


続く


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by santalab | 2016-02-11 20:52 | 太平記 | Comments(0)

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