敵これを見て、これはいかさま降人に出づる者かと、少し猶余して控へたるところに、歩立なる石津助泰則五郎行泰に、矢二筋三筋射させて、敵の馬の足ちとしどろになれば、三騎の者どもをつと喚いて懸け入るに、百騎ばかり控へたる敵さつと分かれ靡きて、敢へてこれに当たらんとせず。ただ射手を進めて射させけるほどに、箕浦弥次郎討たれぬ。同じき四郎左衛門深手を負うて田中に臥したり。塩冶六郎左衛門・木村兵庫も、馬の平首・草脇二所射させて深田のあぜに下り立つたり。すはや討たれぬと見へけるが、木村兵庫放れ馬のありけるに打ち乗つて、徒歩に成りたる塩冶を、馬の上より手を引いて尼崎へ落ちて行く。敵跡に付いても追はざりければ、道場の内に一夜隠れ居て明けの夜京へぞ上りける。
敵はこれを見て、これはきっと降人に出る者かと、少し眺めて控えるところに、歩立の石津助五郎行泰に、矢を二筋三筋射られて、敵の馬の足が乱れたので、三騎の者どもが喚いて駆け入りました、百騎ばかり控えた敵はさっと分かれて、あえて組もうとする者はいませんでした。ただ射手を進めて射させたので、箕浦弥次郎が討たれました。同じく四郎左衛門も深手を負って田に臥しました。塩冶六郎左衛門・木村兵庫(泰則)も、馬の平首([馬の首の、両側の平らな所])・草脇([ 馬や鹿などの獣の胸先の部分])二所を射られて深田のあぜに下り立ちました。すでに討たれると見えましたが、木村兵庫が放れ馬に打ち乗って、徒歩になった塩冶を、馬の上より引き上げて尼崎へ落ちて行きました。敵は後を追わなかったので、道場([寺])の中に一夜隠れて翌日の夜に京に上りました。
(続く)