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「太平記」長崎新左衛門尉意見の事付阿新殿の事(その5)

路遠けれども乗るべきむまもなければ、履きも習はぬ草鞋わらぢに、すげ小笠をがさかたぶけて、露分け分くる越路こしぢの旅、思ひ遣るこそあはれなれ。都を出でて十三日とまうすに、越前の敦賀の津に着きにけり。これより商人船あきんどぶねに乗りて、ほどなく佐渡の国へぞ着きにける。人してかうと云ふべき便りもなければ、みづから本間がたちに致つて中門のまへにぞ立つたりける。境節をりふし僧のありけるが立ち出でて、「この内への御用にて御立ち候ふか。またいかなる用にて候ふぞ」と問ひければ、阿新殿くまわかどの、「これは日野の中納言の一子にて候ふが、近来このごろ切られさせ給ふべしとうけたまはつて、その最後のやうをも見候はんために都より遥々とたづね下りて候ふ」と云ひも敢へず、泪をはらはらと流しければ、この僧心ありける人なりければ、急ぎこの由を本間に語るに、本間も岩木いはきならねば、さすがあはれにや思ひけん、やがてこの僧を以つて持仏堂ぢぶつだういざなひ入れて、蹈皮行纒たびはばきがせ足洗うて、おろそかならぬていにてぞ置きたりける。




遠路でしたが乗る馬もなく、履き慣れない草鞋に、菅の小笠をかぶり、露を分ける越路の旅を、思ひ遣れば哀れでした。都を出て十三日目に、越前の敦賀の津(現福井県敦賀)に着きました。これより商人船に乗って、ほどなく佐渡国に着きました。人伝ての便りもなく、(阿新丸=日野邦光くにみつ)自ら本間(本間泰宣やすのぶ)の館を訪ねて中門の前に立ちました。ちょうど僧がいましたが館を出て、「この館へご用でしょうか。またどのような用でしょう」と訊ねると、阿新殿は、「これは日野中納言(日野資朝すけとも)の子でございますが、近く斬られると承って、その最後を見届けるために都より遥々と訪ね下って参りました」と言いも敢えず、涙をはらはらと流しました、この僧は心のある人でしたので、急ぎこの由を本間に語ると、本間も岩木ではありませんでしたので、さすがに哀れに思ったか、やがてこの僧を以って持仏堂に入れて、蹈皮行纒([行纒]=[脛に巻き付けてひもで結び、脚を保護して歩行時の動作をしやすくするために用いたもの])を解がせ足を洗い、おろそかならぬ体に扱って留め置きました。


続く


by santalab | 2016-02-26 08:13 | 太平記

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