路遠けれども乗るべき馬もなければ、履きも習はぬ草鞋に、菅の小笠を傾けて、露分け分くる越路の旅、思ひ遣るこそ哀れなれ。都を出でて十三日と申すに、越前の敦賀の津に着きにけり。これより商人船に乗りて、ほどなく佐渡の国へぞ着きにける。人して右と云ふべき便りもなければ、自ら本間が館に致つて中門の前にぞ立つたりける。境節僧のありけるが立ち出でて、「この内への御用にて御立ち候ふか。またいかなる用にて候ふぞ」と問ひければ、阿新殿、「これは日野の中納言の一子にて候ふが、近来切られさせ給ふべしと承つて、その最後の様をも見候はんために都より遥々と尋ね下りて候ふ」と云ひも敢へず、泪をはらはらと流しければ、この僧心ありける人なりければ、急ぎこの由を本間に語るに、本間も岩木ならねば、さすが哀れにや思ひけん、やがてこの僧を以つて持仏堂へ誘ひ入れて、蹈皮行纒解がせ足洗うて、疎かならぬ体にてぞ置きたりける。
遠路でしたが乗る馬もなく、履き慣れない草鞋に、菅の小笠をかぶり、露を分ける越路の旅を、思ひ遣れば哀れでした。都を出て十三日目に、越前の敦賀の津(現福井県敦賀)に着きました。これより商人船に乗って、ほどなく佐渡国に着きました。人伝ての便りもなく、(阿新丸=日野邦光)自ら本間(本間泰宣)の館を訪ねて中門の前に立ちました。ちょうど僧がいましたが館を出て、「この館へご用でしょうか。またどのような用でしょう」と訊ねると、阿新殿は、「これは日野中納言(日野資朝)の子でございますが、近く斬られると承って、その最後を見届けるために都より遥々と訪ね下って参りました」と言いも敢えず、涙をはらはらと流しました、この僧は心のある人でしたので、急ぎこの由を本間に語ると、本間も岩木ではありませんでしたので、さすがに哀れに思ったか、やがてこの僧を以って持仏堂に入れて、蹈皮行纒([行纒]=[脛に巻き付けてひもで結び、脚を保護して歩行時の動作をしやすくするために用いたもの])を解がせ足を洗い、おろそかならぬ体に扱って留め置きました。
(続く)