五月二十九日の暮れほどに、資朝の卿を篭より出だし奉つて、「遥かに御湯も召され候はぬに、御行水候へ」と申せば、早や斬らるべき時に成りけりと思ひ給ひて、「嗚呼うたてしき事かな、我が最後の様を見ん為に、遥々と尋下つたる少き者を一目も見ずして、終てぬる事よ」と計りのたまひて、その後はかつて諸事に付けて言をも出だし給はず。今朝までは気色萎れて、常には泪を押し拭ひ給ひけるが、人間の事に於いては頭燃を払ふ如くに成りぬと覚つて、ただ綿密の工夫の外は、余念ありとも見へ給はず。夜に入れば輿差し寄せて乗せ奉り、ここより十町許りある河原へ出だし奉り、輿舁き据ゑたれば、少しも臆したる気色もなく、敷皮の上に居直つて、辞世の頌を書き給ふ。
五蘊仮成形 四大今帰空
将首当白刃 截断一陣風
年号月日の下に
名字を書き付けて、筆を
閣き給へば、切り手後ろへ
回るとぞ見へし、御首は敷皮の上に落ちて
質はなほ坐せるが如し。
五月二十九日の暮れほどに、資朝卿(日野資朝)を篭より出して、「長く湯も召されておられませんので、行水なさいませ」と申せば、早や斬られるべき時になったかと思い、「なんとも無念なことよ、わたしの最後の姿を見ようと、遥々と訪ね下った幼い子を一目も見ずして、命果てることになろうとは」とばかり申して、その後はまったく言葉を口にしませんでした。今朝までは力なく、常に涙を押し拭っていましたが、この世の頭燃([頭髪に火がついて燃えはじめること。危急のたとえ])を払うべき時を悟って、ただ綿密の工夫([仏道修行などに専念すること。特に禅宗で、座禅に専心すること])のほかは、余念ありとも見えませんでした。夜になると輿を差し寄せて乗せ、これより十町ばかりある河原に向かい、輿を舁き据えました、(日野資朝は)少しも臆した表情もなく、敷皮の上に居直ると、辞世の頌を書きました。
五蘊([仏教の説く四苦八苦の一])を受けて、我が身([四大]=[人間の身体])は今天に帰る。白刃がこの首を、まるで一陣の風のように断ち切るであろう。
年号月日の下に名字を書き付けて、筆を差し置き、切り手が後ろへ廻るかと思えば、首は敷皮の上に落ちて骸はなおも正座したままでした。
(続く)