去るほどに、平氏の一族皆出家して、召人に成りし後は、武家被官の者ども、悉く所領を被召上、宿所を被追出て、僅かなる身一つをだに措き兼ねて、貞俊も阿波の国へ被流てありしかば、今は召し仕ふ若党・中間も身に不傍、昨日の楽しみ今日の悲しみと成つて、ますます身を責むる体に成り行きければ、盛者必衰の理の中にありながら、今更世の中無情思えて、如何なる山の奥にも身を隠さばやと、心にあらまされてぞ居たりける。さても関東の様何とか成りぬらんと尋ね聞くに、相摸入道殿を始めとして、一族以下一人も不残、皆被討給ひて、妻子従類も共に行き方を不知成りぬと聞こへければ、今は誰を憑み、何を可待世とも不覚、見るに付け聞くに随ひて、いとど心を摧き、魂を消しけるところに、関東奉公の者どもは、一旦命を扶からん為に、降人に雖出と、遂には如何にも野心ありぬべければ、悉く可被誅とて、貞俊また被召捕てげり。
やがて、平氏の一族は皆出家して、召人([罪人])となった後は、武家は被官の者どもの、所領を残るところなく召し上げて、宿所を追い出したので、わずかな身一つさえ置き兼ねかねました、貞俊(北条貞俊)もまた阿波国へ流罪となって、今は召し使う若党・中間([公家、武家、寺家などに仕える僕従])も身に添わず、昨日の楽しみは今日の悲しみとなって、ますます身を責めるところとなり、盛者必衰の理とは言いながら、今更に世の中が無情に思えて、どのような山奥にでも身を隠そうと、思うようになりました。それにしても関東はどうなったのかと訊ね聞くと、相摸入道殿(鎌倉幕府第十四代執権、北条高時)をはじめとして、一族以下が一人も残らず、皆討たれて、妻子従類もともに行き方知らずと聞こえたので、今は誰を頼み、何を待つべき世とも思えませんでした、見るに付け聞くに随い、いっそう心を砕き、肝を消すところに、関東奉公の者どもが、一旦の命を助かるために、降人に出ましたが、遂には野心があるもやと、残らず討つべしと、貞俊もまた召し捕られました。
(続く)