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「太平記」三人の僧徒関東下向の事(その8)

さてこの沙門罪なくして死刑に逢ひ給ひぬる事只事にあらず、前生ぜんじやう宿業しゆくごふにてをはすらんと思し召されければ、帝そのゆゑを阿羅漢に問ひ給ふ。阿羅漢七日があひだぢやうに入つて宿命通しゆくみやうつうを得て過現くわげんを見給ふに、沙門の前生ぜんじやう耕作かうさくげふとする田夫でんぶなり。帝の前生は水に住むかはづにてぞありける。この田夫鋤を取りて春の山田をかへしける時、誤つて鋤の先にて、かはづの首をぞ切りたりける。この因果いんぐわに依つて、田夫は沙門と生まれ、かいる波羅奈国はらないこくの大王と生まれ、誤つてまた死罪を行はれけるこそあはれなれ。さればこの上人も、いかなる修因感果しゆいんかんくわに依つてか、卦かる不慮の罪にしづみ給ひぬらんと、不思議なりし事どもなり。




それにしてもこの沙門が罪もなく死刑に遭うとは只事でなく、前生の宿業のためであろうと思われて、帝はその故を阿羅漢に訊ねました。阿羅漢は七日間、定に入って宿命通([六神通の一。自他の過去の出来事や生活をすべて知ることのできる超人的能力])を得て過現([前世と現世])を見るに、沙門の前生は耕作を業とする田夫でした。帝の前生は水に住む蛙でした。この田夫が鋤を持って春の山田を耕していた時、誤って鋤の先で、蛙の首を切ってしまいました。この因果によって、田夫は沙門として生まれ、蛙は波羅奈国([古代インドの王国。 ワーラーナシ])の大王に生まれて、(沙門が)誤って死罪になったのは哀れなことでした。なればこの上人も、いかなる修因感果([修行によって悟りを得ること])の理によるものか、かかる不慮の罪に遭ったかと思えば、不思議なりことでした。


続く


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by santalab | 2016-03-20 10:03 | 太平記 | Comments(0)

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