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「太平記」公家一統政道の事(その1)

先帝重祚ちようその後、正慶しやうきやう年号ねんがうは廃帝の改元なればとて被棄之、本の元弘にかへさる。その二年の夏の頃、天下一時に評定ひやうぢやうして、賞罰法令しやうばつほふれい悉く公家一統のまつりごとに出でしかば、群俗帰風若被霜而照春日、中華ちゆうくわ懼軌若履刃而戴雷霆。同じき年の六月三日、大塔宮おほたふのみや志貴の毘沙門堂びしやもんだうに御座ありと聞こへしかば、畿内・近国の勢は不及申、京中・遠国をんごくの兵までも、人より先にと馳せ参じける間、その勢すこぶ天下てんがの大半を尽くしぬらんとおびただし。




先帝(第九十六代後醍醐天皇)が重祚の後、正慶の年号は廃帝(北朝初代光厳天皇)の改元であるとこれを改め、元の元弘に戻されました。その二年(元弘三年もしくは正慶二年(1333))の夏頃、天下は一時にして評定があり、賞罰法令は余すところなく公家一統により決まりました(建武の新政)、群俗は霜に覆われた草木が春の日を浴びて風に靡くように従い、軌範により雷霆([雷])に打たれ刃に懸かることを恐れました。同じ年の六月三日、大塔宮(護良もりよし親王)は志貴の毘沙門堂(現奈良県生駒郡平群へぐり町にある朝護孫子寺)におられると聞こえたので、畿内・近国の勢は申すに及ばず、京中・遠国の兵までもが、人より先にと馳せ参じたので、その勢は数え切れないほどで天下の大半が参ったと思えるほどでした。


続く


by santalab | 2016-03-24 07:38 | 太平記

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