かやうに聞こゆるほどに、蒙古の軍と言ふ事起こりて、御賀止まりぬ。人々口惜しく、本意なしと思すこと限りなし。何事もうちさましたる様にて、御修法や何やと、公家・武家、ただこの騒ぎなり。されども、ほどなく鎮まりて、いとめでたし。
そうこうするところに、蒙古の軍が起こって(1268年、高麗の第二回使節団が大宰府に到来した。元寇はこの後、文永の役(1274)、弘安の役(1281)のこと)、御賀は中止となりました。人々は残念がって、たいそうがっかりしておりました。華やかさは消えて、御修法や何やと、公家・武家は、騒いでおりました。けれども、ほどなく鎮まって、元通りとなりました。
(続く)