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「太平記」三月十二日合戦の事(その3)

去るほどに赤松入道円心ゑんしん、三千余騎を二つに分けて、久我縄手こがなはて・西の七条より押し寄せたり。大手おほての勢桂川かつらがはの西の岸に打ち臨んで、川向かはむかひなる六波羅勢を見渡せば、鳥羽の秋山風に、家々の旗翩翻へんぼんとして、城南せいなんの離宮の西さい門より、作道つくりみち四塚よつづか羅城門らしやうもんの東西、西の七条口まで支へて、雲霞の如くに充満したり。されどもこの勢は、桂川を前にして防げと被下知つるその趣きを守つて、川をば誰も越えざりけり。寄せ手はまた、思ひの外敵大勢なるよと思惟しゆゐして、無左右打つて懸からんともせず。ただ両陣互ひに川を隔てて、矢軍に時をぞ移しける。中にもそつの律師則祐そくいう、馬を踏み放して歩立かちたちになり、矢束ね解いて押しくつろげ、一枚楯の陰より、引きめ引き攻め散々に射けるが、「矢軍許りにては勝負を決すまじかり」と独り言して、脱ぎ置いたるよろひを肩に懸け、兜のめ、馬の腹帯はるびを堅めて、ただ一騎岸より下に打ち下ろし、手縄たづな掻い繰り渡さんとす。




やがて赤松入道円心(赤松則村のりむら)は、三千余騎を二つに分けて、久我縄手(久我畷。鳥羽=現京都市伏見区。と山崎=現大阪府三島郡島本町。を結ぶ道)・西七条より押し寄せました。大手([敵の正面を攻める勢])の勢は桂川の西岸に打ち臨んで、川向こうの六波羅勢を見渡せば、鳥羽の秋山風に、家々の旗が翻り、城南離宮(鳥羽離宮)の西門より、作道・四塚(西国街道と鳥羽街道の交差地点)・羅城門の東西、西七条口まで支えて、雲霞の如く充満していました。けれどもこの勢は、桂川を前にして防げとの命を守って、川を誰も越えませんでした。寄せ手もまた、思いの外敵は大勢よと思い、むやみに打って懸かろうとはしませんでした。ただ両陣は互いに川を隔てて、矢軍に時を移しました。中でも帥律師則祐(赤松則祐のりすけ)は、馬から下りて歩立ちになり、矢束ねを解いて押し広げ、一枚楯の陰より、引き詰め引き詰め散々に矢を射ましたが、「矢軍ばかりでは勝負は付くまい」と独り言して、脱ぎ置いた鎧を肩に懸け、兜の緒を締め、馬の腹帯([鞍を馬の背に取りつけるために馬の腹に締める帯])を固めて、ただ一騎岸から下に打ち下ろし、手縄を掻い繰り川を渡ろうとしました。


続く


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by santalab | 2016-04-29 09:14 | 太平記 | Comments(0)

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