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「太平記」崇徳院御事(その2)

病み付きて七日に当たりける卯の刻に黄なる旗一流れ差して、直兜ひたかぶとの兵千騎ばかり、三方さんぱうより同時に時の声を上げて押し寄せたり。誰とは知らず敵寄せと心得て、この間馳せ集まりたるつはものども五百余人、大庭おほにはに走り出でて散々に射る。矢種尽きぬれば打ち物になつて、追つ返しつ半時はんじばかりぞ戦ふたる。搦め手より寄せける敵かと思えて、くれなゐ母衣ほろ掛けたる兵十余騎、大将細川伊予のかみが首と家人けにん行吉ゆきよし掃部かもんの助が首とを捕つて切つ先に貫き、「にくしと思ふ者をば皆討ち捕つたるぞ。これ見よや兵ども」とて、二つの首を差し上げたれば、大手の敵七百余騎、勝ちどき三声みこゑどつと作つて帰るを見れば、この寄せ手天に上り雲にじようじて、白峯の方へぞ飛び去りける。変化へんげの兵帰り去れば、これを防ぎつる者ども、討たれぬと見へつる人も死なず、手負ひと見つるもつつがなし。こはいかなる不思議ぞと、互ひに語り互ひに問ひて、しばらくあれば、伊予の守も行吉も同時にはかなくなりにけり。まことに濁悪ぢよくあく末世まつせと言ひながら、不思議なる事どもなり。




細川繁氏しげうぢが病気になって七日目の卯の刻(午前六時頃)に黄色い旗を一流れ差して、直兜([一同そろって鎧兜に身を固めること])の兵が千騎ばかり、三方より同時に時の声を上げて押し寄せました。誰とも知らない敵が押し寄せたと思い、ここに馳せ集まった兵たち五百人余りは、大庭に走り出て矢を散々射ました。矢が尽きると打ち物([太刀])を持って、追いつ追われつ半時(一時間)ばかり戦いました。搦め手([陣地などの後ろ側])より寄せる敵と思われる、紅の母衣([鎧の背につけて流れ矢を防ぎ、また存在を示す標識にした幅の広い布])を付けた兵十騎余りが、大将細川伊予守(繁氏)の首と家人([家来])行吉掃部助の首を捕って太刀の切っ先に貫き、「憎いと思う者を皆討ち取ったぞ。これを見よ兵たちよ」と言って、二つの首を差し上げると、大手([正面])の敵七百騎余りは、勝ち鬨([戦いに勝ったときあげる鬨の声])を三声どっと作って帰って行きましたが見れば、寄せ手は天に上り雲に乗って、白峯([白峯山]=[香川県坂出市東部の山。崇徳天皇陵がある])の方へ飛び去りました。変化([神仏などが本来の形を変えて種々の姿を現すこと])の兵が帰り去ると、これを防いだ者たち、討たれたと思われた者も死なず、傷を負ったと思われる者も平穏無事でした。これはどれほどの不思議だと、互いに語り互いに訊ねて、しばらくすると、伊予守(繁氏)も行吉も同時に死んでしまいました。濁悪([けがれと悪とに満ちていること])の末世([道義のすたれた世の中])とは言え、まったく不思議なことでした。


続く


by santalab | 2016-05-04 11:18 | 太平記

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