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「太平記」菊池合戦事(その3)

さるほどに七月に征西せいせい将軍しやうぐんの宮を大将として、新田の一族・菊池の一類いちるゐ、太宰府へ寄すると聞こへしかば、少弐せうには陣を取つて敵を待たんとて、大将太宰の筑後のかみ頼尚よりひさ・子息筑後の新少弐忠資ただすけをひ太宰の筑後の守頼泰よりやす朝井あさゐ但馬の将監しやうげん胤信たねのぶ・筑後の新左衛門しんざゑもん頼信よりのぶくぼの能登の太郎泰助やすすけ・肥後の刑部ぎやうぶ太輔たいふ泰親やすちか・太宰の出雲いづもの守頼光よりみつ山井やまゐ三郎惟則これのり饗場あいば左衛門さゑもん蔵人くらんど重高しげたか・同じく左衛門の大夫行盛ゆきもり相馬さうま小太郎・木綿こわたの左近の将監・西河さいか兵庫ひやうごの助・草壁六郎ろくらう牛糞うしくそ刑部の大輔、松浦党まつらたうには、佐志さしの将監・田平たひら左衛門の蔵人・千葉右京うきやうの大夫・草野筑後の守・子息肥後の守・高木肥前の守・綾部修理しゆりすけ藤木ふぢのき三郎・幡田はたた次郎・高田筑前の前司・三原秋月あきづきの一族・島津上総かづさ入道にふだう・渋谷播磨の守・本間十郎・土屋三郎・松田弾正少弼だんじやうせうひつ河尻かはじり肥後の入道・託間たくま三郎・鹿子木かのこぎ三郎、これらを宗との侍として都合その勢六万余騎、えずりの渡りを前に当てて味坂あぢさかしやうに陣を取る。




やがて(延元元年(1336))七月に征西将軍の宮(懐良かねよし親王)を大将として、新田の一族・菊池の一類が、太宰府へ寄せると聞こえたので、少弐(少弐頼尚よりひさ)は陣を取って敵を待とうと、大将太宰筑後守頼尚(少弐頼尚)・子息筑後新少弐忠資(少弐直資)・甥の太宰筑後守頼泰(少弐頼泰)・朝井但馬将監胤信(朝井胤信)・筑後新左衛門頼信・窪能登太郎泰助・肥後刑部大輔泰親・太宰出雲守頼光(少弐頼光)・山井三郎惟則(山井惟則)・饗場左衛門蔵人重高(饗場重高)・同じく左衛門大夫行盛・相馬小太郎・木綿左近将監・西河兵庫助・草壁六郎・牛糞刑部大輔、松浦党([平安時代から戦国時代に肥前松浦地方で組織された松浦氏の武士団])には、佐志将監・田平左衛門蔵人・千葉右京大夫・草野筑後守・子息肥後守・高木肥前守・綾部修理亮・藤木三郎・幡田次郎・高田筑前前司・三原秋月の一族・島津上総入道・渋谷播磨守・本間十郎・土屋三郎・松田弾正少弼・河尻肥後入道・託間三郎・鹿子木三郎、これらを主な侍として都合その勢六万余騎は、杜の渡り(現福岡県久留米市)を前に当てて味坂庄(現福岡県小郡市)に陣を取りました。


続く


by santalab | 2016-05-11 08:44 | 太平記

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